春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート その6 -2
代謝が一部でもうまく行かなくなれば身体に留まっているべきでない化学的性質を持つ物質が、時間とともに蓄積していく。または、生化学的に必須の性質を持つ物質が、体内に調達されない。
腎臓の機能が働かなければ尿毒症になるし、糖尿病で代謝のバランスが崩れれば体内各所の臓器や神経やが蝕まれその細胞は壊れていく。代謝障害というものの多くは、基本的に、あるいは究極的には致死的なのだ。
ギリシア自然哲学以来「ホメオスタシス」が言われ、福岡伸一は生命とは「動的平衡」だと名指す。 その平衡が崩れようとするならば、なにが対策としてあり得るのだろうか?
体細胞の遺伝子をいじるのは無理だ、とさっき書いた。
響の症状緩和には、医学的根拠があって可能性がありうるものはほぼすべて試している。その多くは補酵素を使うもので、つまりは遺伝子のコードエラーで充分につくられなくなったアミノ酸などを、経口で少しでも細胞に届かせようとするもの。
2007年、僕は小児科医療の置かれた窮状をすこしでも伝えたいと、『小児科を救え!』*1 という本を千葉智子さんとつくった。千葉さんは、過労から自死した小児科医の娘さんで、けれど、だからこそ小児科の研修医になりたてだった人。
その取材の過程でお話しを伺った東京女子医科大学の齋藤加代子医師は、遺伝子欠損や入れ替わりによる代謝の異常に対処するそうした療法を「ソフトな遺伝子治療」と呼んでおられた。
遺伝子そのものは替えられない(まだまだ)としても、それを生化学的な働きの上で補う方法はあるかも知れない、あるんだ、ということだ。
それを思い出していまネットで引いてみると、齋藤医師はいまも東京女子医大遺伝子医療センターゲノム診療科に居られて「スタッフ紹介」のページにはこうある。
臨床遺伝専門医・指導医です。小児科専門医・小児神経専門医でもあります。
DNAの配列をみるたびに思います。病気は、ほんの一つのDNAが違っただけでも起こるもの、それは誰にでも起こるもので、いつでも起こるもの。
その連続性が分かると心のバリアフリーが訪れます。
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