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春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート 堀切和雅

ここまでの歩み 編  – その1 –

難病のミトコンドリア病をもつ僕の娘、響の高校の入学式の光景から始めたこの連載。が、なぜ響がこのように生きているのかを知っていただくには、彼女が人々の間でこれまでどのように生きてきたのか、お伝えしなければならないとわかった。
響が生まれてから、4歳近くでようやく立って歩き出すまでのことは、『娘よ、ゆっくり大きくなりなさい』(2006年、集英社新書)にある。これは、2005年7月4日から9月30日まで「東京新聞」「中日新聞」夕刊に連載させていただいた「歩くように 話すように 響くように」がもとになっている。実は翌年にも「続・歩くように 話すように 響くように」(2006年3月20日~6月10 日)というタイトルで、連載をさせていただいている。この部分は書籍などにはなっていない。
「ここまでの歩み編」として、その連載 1 ~ 64 を今回から再録していきたい。



生きています

響は生きています。
昨年(2005年)9月にこの連載を一旦閉じる時は、この言葉でまた、皆さんとお会いできるだろうとは、まあ、思っていた。

病名を告げられた時期にネット等で知った幾つかの事例から、乳児発症のミトコンドリア病では多くの赤ちゃんが零歳や1歳で亡くなる、と僕ら両親は認識していたのだが、響はそこを越えて生き続け、育ち続け、長期生存への希望が僕らに、展けてきていたから。

それでも、去年から今年にかけての冬を乗り越えて、「生きています」と報告するのもあながち大げさな物言いではない。それが実際どんなふうなことかは追々書いていくけれども、今回から連載を読んで下さる方のために、基本的な情報を少し。
僕たちのひとり娘、響は、現在4歳。11ヶ月の時に、発達の遅れを気にかけて受診した東京女子医大病院で、ミトコンドリア病と診断された。

ミトコンドリア病は、糖分などの栄養を細胞内でエネルギーに変換する細胞内小器官、ミトコンドリアの機能が充分でない、代謝疾患。個々の患者によって病像は非常に異なるが、ミトコンドリア病と診断されている人は日本では約600~700人ほど、つまり約20万人に1人。中でも、響の染色体変異の型は、世界で3例目、日本で初発見のケース。

発熱が致命的となる場合があるので、感染の機会が多い保育園はやめ、一生共働きのつもりだった僕らだが、連れ合いは仕事を辞めた。医師にどんどん質問しては病気への対処法を探り、響の発達に合わせた暮らし仕方を探し、どうすれば響の人生が、延いては僕らの生活が、豊かなものになるか、年中考えている。

そんな日々のなかの、今日。

響はふらつきながらも爆発的なエネルギーで家の中を走り回り、「ジャンプ!」「逆立ち!」と自分ではできない、でもやりたい動作の補助を次から次へと休みなく要求し、春浅いというのに僕ら両親はもう汗だく。連れ合いに両腋を支えられながら鏡の前で脚をクロスさせ、「バレエダンス」と悦に入る。

夫婦ではあはあ息を切らしながらも、響のいちいちの仕草がうれしい。


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