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春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート 堀切和雅



美しい5月と、入院

1年ほど遡る。

四肢の動きの少ない寝たきりのような赤ん坊時代から、不完全な這い這いの長い期間を経て、そのころ3歳半だった響が、ついに歩いたのは2005年の3月のこと。

心底驚愕した。
5歩か6歩の、よたよたした、それは歩みだったが。
乳児発症のミトコンドリア病の子どもが「歩いた」という話はあまり聞かない。

その後、響の歩みはわずかずつだがしっかりしてきて、綠溢れる5月、いつもの明治神宮に僕らは響を連れて行って、彼女が歩を進める一瞬を捉えて写真を撮った。数歩行くと彼女は転んでしまうのだが、それでも僕らは「希いが叶ったのだ」と心を揺り動かされる。

もっと以前、響がお座りもできないころには、この同じ芝生に来ては、可愛い頭をちょこんと立てて座っているよその赤ちゃんを見て「いいなあ」と僕らは思ったものだったが、響が2歳のころ、ようやくお座りができるようになり、それはゆっくりと叶って行った。

そして今度は、「歩いている」。僕らの胸の視界はちょうどその日の青空のように展け、「このまま成長していってくれるのでは?」。どんどん、より高い望みが生まれてきてしまう、これから来る夏の、入道雲の伸び上がるように。

ところが5月末、響は季節外れの風邪をひく。即入院。
以前は「あまりに重病人みたいで」抵抗感があったが、今回は迷わず速やかに経鼻管(鼻から栄養を入れるチューブ)を入れてもらい、そこからMCT(中鎖脂肪酸強化)ミルクをどんどん送り込んでもらう。糖分をうまく分解できない代謝障害の響には、このミルクは命の綱。そしてビタミンB1の点滴。

入院慣れしてきている。
子どもというのは、必ず年に何度かは熱を出すから、そのたびに大きな荷物を抱えての、母子同伴の入院。僕も仕事を一時中断して、昼間は病室に陣取る。熱が響の脳細胞を破壊してしまうかも知れないから、監視している。監視してどうなるものでもないのだが。

喜びの瞬間はあっても、毎日の歩みが薄氷を踏むことでもある。
それが僕らと、響の生活。
これからもずっと。


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