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春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート 堀切和雅



MCTミルクをめぐる冒険

「命の綱」と書いたMCT(中鎖脂肪酸)強化ミルクだが、響がこれを、だんだん飲ま なくなってきてしまった。それはそうだ、響は、年齢的にはもう赤ちゃんじゃないんだから。

哺乳瓶の乳首を銜えないし、無理に押し込もうとすると「ぷい」と顔を背ける。水辺に馬を連れてきても水を飲むかどうかは馬次第なのと同じことで、「無理に」というのは とても無理。

「ジュース!」と響が言ったときに、オレンジ・ジュースに少し混ぜて飲ませる方法を発見した。それから、連れ合いが昼食のホット・ケーキに入れて焼いたり、うどんのおつゆに気が付かれない程度に混ぜたり、コーン・スープに溶かし込んだり。

混入作業を響に見られると、また「ぷい」なので、こっそりと。

それでも、一日の所要量にはとても足りない。

焦った僕は透明なゼラチンのカプセルを薬局で買ってきて、そこにちょっとずつ詰めてお茶と一緒に流し込もうとしたが、「それじゃ1錠0.02グラムじゃない。意味ないよー」と、連れ合いに笑われた。

そのうち、ティラミスと称してコンビニで100円で売っている菓子に、ミルクの粉がかなり混入できるのを発見。響は気にせず良く食べるが、毎日それだと、ある日突然飽きて、食べなくなる。

そこで僕は考えた。チョコレート味が好きなのは間違いない。始めからMCTミルクを焼き込んだ、チョコレートケーキをつくってもらえば良いのではないか?

家の近くの目白界隈に、「エーグルドゥース」というパティスリー(洋菓子製造販売店)がある。レストラン「ミクニ」にいたパティシエが出店した名店で、ちょっと気後れしそうだったけど、思い直す。「職人さんだからこそ、注文に応じてくれるかも」。

応対に出てきた本間友梨さんというパティシエは、まさに職人タイプの女性。響の病気のことをしっかり聞いてくれて、「やってみます」とおっしゃってくださった。

僕らはミルクの缶を預けて、朗報を待つことにする。

その間、MCTがほとんど摂れていない響は、なぜか元気、元気。
廊下を走っては、転んで泣いている。
鏡の前で踊る。謎だ……。

「続・歩くように 話すように 響くように」連載第7回より再録

―つづく―


 

「続・歩くように 話すように 響くように」

2006年3月20日~6月10日 中日・東京新聞夕刊文化面連載
より再録(データ等は当時のものです)。

 

ほりきり かずまさ はじめ編集者、つぎに教員になり、そうしながらも劇団「月夜果実店」で脚本を書き、演出をしてきた。いまや劇団はリモートで制作される空想のオペラ団・ラジオ団になっている。書いた本に『三〇代が読んだ「わだつみ」』『「30代後半」という病気』『娘よ、ゆっくり大きくなりなさい』『なぜ友は死に 俺は生きたのか』など。

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