春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート
9
親の限界
響がどんどん動き回るようになるにつれて、連れ合いの陽子の体調が思わしくなくなってきた、と書いた。彼女は言う。
「いろいろなことをするようになって、嬉しいんだけど、響は危なっかしいでしょう? 椅子に登れば、落ちることを心配しなきゃならないし、ものはこぼすし、倒すし、かと言ってまだ聞き分けは全然ないでしょう? 一日中、ひとときも、気が抜けないのよ」
そうしながら家事もするわけだから、疲労も蓄積してきている。
もちろん、僕も響の相手をするのだけれども、仕事もしなくちゃ生きて行かれない。
いまはコンピューターに向かって文を書いたり編集したりの仕事が多いのだが、ダイニングテーブルのノートパソコンで(別の部屋に籠もったりはしない。子どもと一緒にいる)仕事をしていると、響がやってきて電源コードを引っ張ったり、キーボードをバンバン叩いてメチャクチャ文を打ったり、マウスを投げて破壊したりする。
それは「遊んでよ!」ということで、応えたいのだけれど、集中する時間も必要だから、朝から午後2時くらいまでは、陽子に任せる状態になっている。その間に、上手にはできないけれどやりたいことがいっぱいで、エネルギッシュに動き回る響がやらかすことといったら……。
幸いに、以前から週に3回通っている、豊島区立西部子ども家庭支援センター(通称「とむとむ」。発達に何らかの問題を抱える子たちが通う)で、響は「ぞうさん」クラスに上がり、母子分離保育となった。それまでは母子(または父子)同伴だったから、僕らは一日中、休むということができなかったのだ。
案外なことに、響は親子分離が平気だった。最初のうちこそ他の子の存在に緊張したり、慣れるまで別室に控えている親のところを覗きに来たりしていたが、すぐに、保育者の先生たちに懐いて元気に遊ぶようになった。
ある時、2時の保育終了時間に合わせて迎えに来た僕は、他の子どもたちと並んで椅子に座り、「さよなら皆さん」の歌を、ついて行けないながら歌おうとしている響の色白の横顔を、窓越しに見ていた。
何とも説明のしにくい、胸に迫るような気持ちがあった。
「続・歩くように 話すように 響くように」連載第9回より再録
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