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春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート 堀切和雅


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陽子の思ったこと

連れ合いの陽子に聞いてみた。
──響が生まれる前は、どんな思いがしていた?

「響ちゃんがいない生活って一体どんな生活だったっけ? もう思い出せないよね。でも、生まれたらああしようこうしよう、ということは、少なくとも思ってなかった。自分の夢を引き継がせよう、とかは全くなくて、自然に育てていこう、と思ったくらい」

「五体満足であれば、もう何も望まない、と思ってた。だけど、出産の最中はね、、それも吹っ飛んで、五体不満足でもいい、贅沢は言いません、何とかこの子を無事にこの世に生まれさせてください、という感じ」

──「よく出てきてくれたね」って言っていたものね。生まれたばかりの響を抱いて、病気が分かってからは?

「病気でも、響ちゃんに対する愛情とか彼女の可愛らしさとか、全然変わらないし、もし2人目も同じ病気の子が生まれますよ、と言われても、それは普通の子より手がかかるのだけど、可愛いと思う気持ちは変わらないから。でもそれは、この病気の辛い局面をまだ実際には見ていないから、呑気なことを言っていられるのかも知れないけれど」

──2人目が生まれて、その子が健常でも、響が響であることの勁さ、揺るぎなさは同じだと思う。子どもという存在は、較べられるものではない。

「でも分からないよね。響ちゃんが生まれて、初めて私たちそういう感覚を知ったわけじゃない?『ほんと〇番目が可愛いのよね』と言う人って、やっぱりいるじゃない?」

──好みが言えるというのは、全員が健常児の場合だと想像するけど。違うかな? それで、生まれて3日後に響に痙攣が出たときは、どう思った?

「出産した後って頭の回転がしばらく鈍くなるような気がするのよね。だから現実だと把握しきれなかった。どうなるんだろう、とはっきり心配になったのは、ずっと後。響がそれ以来15日間入院していた時も、何も考えられなかった。ただ起こっていることを受け容れるしかなかった」

──退院して、家のベッドに寝かせたときは?

「やっと3人になったね、ここからスタートだね。そう思った。病気のことは忘れていたわね」

「続・歩くように 話すように 響くように」連載第10回より再録

―つづく―


「続・歩くように 話すように 響くように」

2006年3月20日~6月10日 中日・東京新聞夕刊文化面連載
より再録(データ等は当時のものです)。

ほりきり かずまさ はじめ編集者、つぎに教員になり、そうしながらも劇団「月夜果実店」で脚本を書き、演出をしてきた。いまや劇団はリモートで制作される空想のオペラ団・ラジオ団になっている。書いた本に『三〇代が読んだ「わだつみ」』『「30代後半」という病気』『娘よ、ゆっくり大きくなりなさい』『なぜ友は死に 俺は生きたのか』など。

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