春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート
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幼稚園に入れる?
ずいぶん前から、響を将来どこに通わせたらいいのか考えていた。「とむとむ」は、あくまで通過点という位置づけだったから。
養護学校*1なんだろうな、と考えて、比較的近い、筑波大学付属養護学校を見に行ったりした。医療的ケアや配慮が必要な子どもの場合には、養護学校の方が専門知識のあるスタッフもいるし、安全な対応ができる面があるとも聞いていたから。
だがそこは、年に採るのが2人か3人。親しい友人がそれこそ筑波大学の大学院で身心障害学を学んでいたこともあって、ここでは障碍児は、当然ながら観察・実験の対象でもあるんだろうな、とも思った。別にそれは構わないのだけれど、「響にとって楽しさがベスト」な場所を求める僕らには、希望とのズレも感じられた。
それと、去年の連載*2の「健常児への憧れ」という項にも書いたけれど、響は自分よりも動ける子が好きだ。「自分もこうしたい」と思うのだろう。索然とするような事実だが、響は寝たきりの子にはあまり興味を示さない。
初めて歩いたのだって、いとこの希凜ちゃん(イギリス在住の僕の妹の長女)が来日していたとき、彼女を追っかけているうちに、だ。明らかに、「普通の子」と一緒にいることが、響の発達に好影響を与えている。
そんな相談を主治医の中野先生としていたら、「いいですよ、普通の幼稚園で」とあっさり。その日から響の進路希望変更。そして僕ら両親にとっては、一種の闘いが始まることになる。
というのは、響の病気を理解して、響を愛してくれる先生がいて、そして集団の中で響が愛されるような幼稚園はどこか、見極めなければならないから。前にも書いたが、響は4歳になってもよだれが口から流れる(その程度は疲れ方による)。これも中枢神経の障害とそれと関係した筋力のよわさによるものだが、よその子はそれを見ると「あ、この子よだれー」とか、必ず言う。反応としてそれは仕方ないが、そんなことで響を嫌わない、子どもたちの集団はどこにいるのか。そしてそれはたぶん、園の方針、人の雰囲気に大きく拠るのだ。
そこで連れ合いと僕が開始した作戦とは……。

「続・歩くように 話すように 響くように」連載第12回より再録
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