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春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート 堀切和雅


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響の幼稚園を求めて 3

区立幼稚園には少しは希望を持てるのではないか、と思っていたが、そうではなかった。まず、なかなか返事が来ない。

もう忘れそうになったころ、豊島区に3園ある区立幼稚園のうち2園からは、同時期に、ほとんど同じ文面の返事が届いた。もう1園からのものも含めて、「来てみてください」という内容だったが、園長同士で相談したらしいその様子に、
「響が幼稚園に入ったらいろいろなトラブルが起こるのも、それは当たり前。その時にどーんと、責任を持って自分で判断してくれる園長がいないところは不安だ」
と思い、見に行く気が起こらなかった。

わが家から距離的に一番近いのは、日本女子大学付属芳豊明幼稚園。
次に近いのは学習院幼稚園。その次に近いのは音羽幼稚園。
「お受験幼稚園」目白押し、という、ちょっと変わった環境にある。

響は「お受験」に受かるわけがないが、だからと言ってこちらから遠慮することはあるまい、と思って、豊明、学習院の2園には、手紙を出す前に、電話で打診していた。どちらも、「そうしたことは想定していない」という意味の答えだった。

イギリスにいる義弟にそれを話すと、彼は電話口で言った。
「信じられない。その幼稚園は社会的責任を全く果たしていないじゃないか!」。

イギリスのエリートの子弟が行く幼稚園や、王室の子弟(行くのかどうか知らないけど)が入る幼児教育施設が、じゃあ障碍児をきちんと受け入れているのかどうかまでは調べていないけれど(そのうち調べる)、イギリスの、少なくともイングランドの中間層の白人の常識では、障碍児の入園を断る(あるいは財政的理由で受け入れられない)というのは、びっくりすることであることは確かなようだった。

ダメ押しで、豊明、学習院にも園長あてで手紙も出した。なんと言っても、園長の考えを聞きたい。幼稚園では、園長の判断は大きいはずだから。

豊明幼稚園からは、「試験のことなどについてお話しします」という手紙が来て、学習院からは、実質的に断る手紙が来た。

東京音大付属、及び川村幼稚園からは返事さえ来なかった。このことについては、次回ももう少しこだわりたい。

「続・歩くように 話すように 響くように」連載第16回より再録

―つづく―


「続・歩くように 話すように 響くように」

2006年3月20日~6月10日 中日・東京新聞夕刊文化面連載
より再録(データ等は当時のものです)。

ほりきり かずまさ はじめ編集者、つぎに教員になり、そうしながらも劇団「月夜果実店」で脚本を書き、演出をしてきた。いまや劇団はリモートで制作される空想のオペラ団・ラジオ団になっている。書いた本に『三〇代が読んだ「わだつみ」』『「30代後半」という病気』『娘よ、ゆっくり大きくなりなさい』『なぜ友は死に 俺は生きたのか』など。

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