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春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート 堀切和雅


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響の幼稚園を求めて 5

豊明幼稚園は園舎も園庭も空間に恵まれ、園長の黒瀬優子先生は、率直でさっぱりした感じの人だった。響が受験するのは、もちろん問題ない、とおっしゃる。ただ、補助員をつける、というのはしたことがなく、財政的余裕もない。今でも教諭は不足で、場合によってはひとりで30人からの園児を見ている、とのこと。

だとすると、指示に従う「よい子」「問題のない子」を選考基準のひとつにしているのかな、と邪推もするが、僕は水を向けてみた。

「法人としての判断、ということになりますでしょうしねえ」
「そうなんです」

独立した私立幼稚園と違って、大学などの附属幼稚園の園長は、一人で決められることがより少ないだろう。そうすると、学校法人としての日本女子大学の見識が問われることになる。

日本女子大学は幼稚園教諭等を養成する「児童科」をもっている。その大学の附属幼稚園に、障碍児が現実的に入れない、というのは軽い問題ではない。

だがそういう大学、学校法人は、ほかにいくらもある。意地悪な視点をとれば、そうしたところの附属幼稚園・小学校などは、決して多くはない人員配置で、手のかからない子とその学費を集める収入源の役割をしており、なおかつ学校法人の中では発言力の大きくない立場にいるのかも知れない。

こういうことを考えると、教育の世界が孕む二面性とか、もっと言えば偽善に思いが至って、社会についての希望が減少してくる。

学習院幼稚園の、小山久子園長先生のお手紙から。

「現時点では、補助員さん等の介助を必要とする障碍をお持ちのお子さんをお預かりする体制が整っておりません。障碍をお持ちのお子さんと持っていないお子さんとが一緒に教育を受けることの意義は理解しております。そういう教育が実現する社会を心より期待しております……学習院は一貫した教育を行っている学校でございますので、この問題については幼稚園のみで決めるわけにも参りませんが、今後全体で検討する必要があると受けとめております」

現状に立てば最大限誠実な返事だと思う。がんばってください。
この問題に関しては、さらにちょっとだけ、こだわる。

「続・歩くように 話すように 響くように」連載第18回より再録


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