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春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート 堀切和雅


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響の幼稚園を求めて 6

この間にあった、嬉しいことをひとつ。

目白幼稚園を訪ねたとき、園児たちに名前を聞かれても、響は答えられなかったわけだが、その次の日、胸に手を当てて、というよりは詰まっていたものを叩いて押し出すかのように、「…ひ・び・き」と言った。僕らは思わず彼女を抱きしめた。

それ以来、ベビーシッターの小川直子さんが来たときにも「ひびきです」と次第に安定して答えるようになったし、やがて、「お名前は?」「ひびきです」「いくつですか?」「よんさーい!」というやりとりもできるようになった。

豊明、学習院は受け入れが無理、ということだったが、音羽幼稚園は断りはしなかった。選考も、別枠で考えてくれるとのこと。やはり人気の、聖パトリック幼稚園の方は電話で、教室が2階にあって不便であろうこと、しかし障碍児を受け入れた実績はあるので、ぜひ見に来て、ご両親の目で確認してください、と非常に親切におっしゃってくださった。経験した範囲では、宗教系の園は、最初から断るということはしない。

ただ、思えば僕らは響を名門幼稚園に入れたいわけではなく、近くの園から方針を訊ねていっただけなのだ。「お受験」幼稚園では、保護者に力が入っている(たぶん)だけあって、親同士の葛藤とか、特別な苦労もあると聞く。だいたい、「うちの子は難関を潜って入ったのに、何であんな子がいるの?」と響を見てちらっとでも思う親が、一人もいないとは考えにくい。偏見がも知れないが、もしそうだったら僕ら家族の暮らしにストレス要因がまた増えることになる。

だから結局、歩いて行ける豊明幼稚園と学習院幼稚園がだめだった以上、普通の幼稚園で、人々が親切なところであればいいのだ。

そういう結末は実は最初からある程度予想していて、ただ、陽子も言っていた。

「障碍があるからといって『お受験』幼稚園は断るのかとか、他の親はどう思うのかとか、一石を投ずるというか…確かめてみたかったのよね。それは、響ちゃんの将来に、この社会がどれくらい広い選択肢を開いているのか、ということにもつながってくるし」

「続・歩くように 話すように 響くように」連載第19回より再録


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