春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート
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阿部先生の話 ②
──もう子どもの時期ではなくなった障碍者の問題は?
「高卒後の進路ですね。作業所や通所施設が充分にない。体の変形や呼吸の問題、成人病などのリスクも出てきます」
──施設に入所して生涯を過ごす人もいるが、待機者も多いから、家にいる人も多いようですね。自分が亡き後「この子はどうなるのだろう」というのが親の悩みになっている。
「養護学校の数と同じくらい、障碍者の生涯の拠点のニーズがあるはずなんですよね。現実は、そうなっていない」
──とくに、誕生時に障碍があっても医療的に救えるケースが多くなってきたから、弱い面があっても命をつなげる人は増えている。高齢化社会の問題にも通じることだけれど。ところが行政は、というより今の政治は、ニーズから世の中の組み立てを発想するのではなくて、予算から逆算して福祉に枠をはめて、あとは「自己責任」の名で社会から外部化しようとする。
それと、障碍者でも子どもは多くの人が可愛いと思うけれど、大きくなれば感覚的には愛着を保つハードルが高くなるように思う。でもそれは越えられるものですよね?
「初めはカルチャーショックを受ける場合もあるけれど、接していく中で、その人の個性を好きになっていくものですね」
──ひとりひとりの子どもと長い付き合いになるから、中には途中で亡くなっていく子も……。
「経管栄養とか、気管切開をしていて一見とても虚弱に見える子も、ふつうに接しているなかで『死』というのはあまり考えないんですよね。でもほんとうに、『え? まさか?』という感じで、突然やってくる。やっぱり弱いところがあって、何かのきっかけでどどっと悪化してしまうんですね。茫然としてしまいます」
──将来、もし阿部先生が子どもを持って、その子に障碍があった場合は?
「うーん。お母さんたちを見てると、自分がその立場だったらこんなに頑張れるかなあ、と思います」
──僕の連れ合いも4年目で一度倒れたからなあ……。
「だからそういう、お母さんたち、あるいはお父さんをケアする仕組みも、必要だと思います」
──この社会に障碍者は当然いるし、その数は多くなっていく。そのことの「意味」をどう考えます?
「続・歩くように 話すように 響くように」連載第31回より再録
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