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春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート 堀切和雅


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阿部先生の話 ③

「実際に障碍のあるお子さんを見ていて、大変だなあと思うこともあるけれど、その中でも、いいことや楽しいことがあったりする。助かって、生まれてきた意味は絶対ある、って思うんですよね。ただ、助ける医療と同時に育てる社会も考える必要があると思う」

──あとあと大変だから助けるな、というわけには行かない。そういう考え方には僕ははっきり反対する。重度の人でも生きていける社会的環境の整備は実行しうるし、そこに配分すべき資源は実はある。自分の属する社会を、人を見捨てる社会にしたくはない。
社会学者の立岩真也さんが、根源的な提起をしているんですよね。「優しい気持ちになれる」とか「障碍者にも価値がある」から、という論理では貫いていけない。彼は「存在しているという理由だけで存在していい」という社会的合意を論じているんです。

「それは、現場にいれば分かる感覚ですよね。脳性麻痺だからこの人はこう、というのじゃなくて、ほんとに、個々を見ていく。このお子さんは、こういう発達をしてきて、ここまで来た、というふうに。いま、私はすごく自然にそういうふうに見えるんですよね。」

「医学的に脳がどういう状態か、など知る必要はあるんですけど、それは単に情報のひとつで、ほんとうにその子、その人がどういう人なのかということを──家庭的、社会的文脈も含めて──見ていかないと、ひとりひとりの援助はできない。そこからは、『この子はみんなを幸せにしてくれる』といった、世のため人のため的な発想は出てこなくて、むしろそんな発想は自然じゃないように感じる。」

「大学院に通っていたんですが、尊敬する先生から『あなたは天性のOT(作業療法士)ね』と言われたことがある。すごく嬉しかった」

──「たまたま引っかかった」分野で、思いがけずも天職を見つけたわけですね。
僕のように当事者家族であるとともに半分は外から眺めていると、阿部先生がなぜ療育の世界が好きなのか分かるような気がする。ここには「肯定していく文化」があるんです。いいこと、うれしいところを見つけ出そう、そしてできれば育てよう、という。
競争社会はそうじゃない。否定に立つ優位、優勝劣敗が軸になる文化ですからね。
「肯定の文化」に連なる仕事は、人間の心のもうひとつの側面、しかも深いところに繋がって在るような気がします。

「続・歩くように 話すように 響くように」連載第32回より再録

―つづく―


ずっと後に思ったこと・少し

この文章を書いてから16年が経っているが、このとき陽子や阿部先生へ質問している中には、現在にいたる「心配事」がすでにほとんど出揃っていることがわかる。

いつまで生きてくれるだろうか、ということ。
成長してくれるのはうれしくてたまらないのだけれど、身体が大きくなっていったら世話も体力的に大変になっていくだろうな、との懸念。
親も年をとっていく。「その後は?」という、みんなが思うこと。

治癒ということのない病気と分かり、とにかく生きてさえくれればと願った日々。
響は生きて、5歳になった。
幼稚園にも通うようになった。
うれしい。
心に陽の光射す、勇雲高く湧くたくさんの出来事を、響は連れてくることになる。その後も、たびたび。

一方でまた、その後も、「心配事」はひとつも変わらず、未解決で、ずっとある。
思えばそれらは、人が生きることには必ずついてまわる本質的なものなのだ。
それがただ、弱さをもっている者やその保護者にはより切迫してあらわれる。

いまやじゅうぶんに大きくなった響が生きることを助けるためには、われわれはあまり早く老いてはならない。
あるいはその前に、彼女が楽しく生きられる場と結構を見つけ出さなければ。
まだほとんど、かすかにも、見えてこないのではあるが。

(堀切和雅)

ほりきり かずまさ はじめ編集者、つぎに教員になり、そうしながらも劇団「月夜果実店」で脚本を書き、演出をしてきた。いまや劇団はリモートで制作される空想のオペラ団・ラジオ団になっている。書いた本に『三〇代が読んだ「わだつみ」』『「30代後半」という病気』『娘よ、ゆっくり大きくなりなさい』『なぜ友は死に 俺は生きたのか』など。

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