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春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート 堀切和雅


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お友達できるかな?

通園が始まって最も気になったのは、他の園児たちが、響をどのように受け入れてくれるか、だった。
4歳にしてスタイ(よだれかけ)をしている響は、「あー、この子、よだれー」的なことを言われて、いじめられないだろうか。

彼女のこれまでの生涯に亘って、それこそ出産の瞬間から病院の処置室や脳波室、響が「何らかの目に遭う」場所にはずんずん踏み込んで行って自分の目で確認せずにはおれなかった僕だが、通園初日に教室にどんどんと入ろうとすると、担任の角井美穂里先生にとめられてしまった。

それ以来、親から園への響の受け渡しは園舎の入り口にて、となった。

降園時間となると、元気のいい子たちがまっさきに駆け出してくる。僕は友達になろうと思って、子どもの高さにしゃがんで話しかける。

「だれ?」
「響ちゃんのお父さんだよ」

ある男の子は「響ちゃんにこんにちはって言ったら、こんにちはって言った」と教えてくれた。
聞いて、心があったかくなった。
響が他の子と「違って」いることによって避けられているとか、何か言われているというのはまだ聞いていない。やっぱり、こうした幼児のころから、いろんな子が一緒にいるのが一番だ! 僕は確信をつよめた。
このことについては、いずれもっと分かってきたら、また報告したい。

いたずら盛りの響と家にずっといると疲れてしようがないのだが、彼女が幼稚園にいる数時間、僕ら夫婦は落ち着いて仕事ができる。そして、大変だろうなと思っていた毎日の送り迎えが、思いのほか楽しいとわかった。

何時間かこちらが大人だけで過ごせると、また、子どもと一緒の時間に突入してもいいかな、という気分というか、気力が湧いてくる。早くも響が懐かしくさえなってきて、僕は口笛を吹きながら車を運転していく。

会うと、響はニカッと笑って抱きついてきてくれる。その時僕がどんな生活上の問題に悩んでいようと、進まぬ筆に煮詰まっていようと、当然ながら関係ない。

子どもは、僕ら大人の時間を、その強烈な魅力(と、わがまま)でリセットしてくれる。
僕は、この世で何も名を成さなくとも組織などで「偉く」なったりしなくとも、子どもを育てることだけを仕事として生きられたらな、なんて夢想する。

 

「続・歩くように 話すように 響くように」連載第34回より再録


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