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春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート 堀切和雅


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運命と抵抗

春になると運命的に風邪をひく。
4月30日、上天気。窓外の明るさを見て響が「はるピクニック!」と言う。
よし、と仕事を止めて、いつもの明治神宮の芝生へ。
ところがその晩、発熱。38度5分。せっかく眠っているのを救急外来に連れて行くのも体力の消耗だと考え、氷枕を当てるだけにする。

春に風邪をひくのには理由がある。冬の間、ちょっと極端なほど、僕らは見えないウィルスを避けようとしながら暮らす。僕ら両親も含めて、電車やバスに乗らない。できるだけ人に会わない。外に出たら手も顔も洗う。だが、だからこそ、春になって世界が明るむと、響を外に出してやりたくなる。いろいろなところで、遊ばせてやりたくなる。必然的に風邪をひく。

だけど、一生カプセルに入って暮らすわけにも行かない。

翌朝、39度8分! 意識朦朧。東京女子医大病院に電話をかけ、中山智博先生が出てらっしゃるのを聞いて、少し安心。中山先生は響の主治医の中野先生と一緒に仕事をしている後輩で、ミトコンドリア病の児の発熱への対処経験も豊富。
午後、診察を受けることができて、その日は点滴。ベッドが空いていないので、翌朝一番にまた来ることになる。

そして5月2日、入院。

春になり、僕ら家族も季節を楽しもうとすると、いつも出端を挫かれる。いつ何が起こるか分からないから、先の予定も組めない。何かそれは、人生そのものを表しているような気がする。

誰の人生も、本当は予想が付かないのだ。いまは無事でも、次の瞬間何がどう転ぶかは分からないのだ。ただ、響の場合はあまりに剥き出しに、無事と大事とが交錯する。そうした響に、なにか根本的なことを教えられている気が、する。

普段、入院のことを考えるだけで、あの、胃が絞られ息が詰まるような1週間、あるいは10日間を「避けたい」と強く思う。しかしそれは、来る。目を開けてそれに堪え、組み合い、最善を尽くすほかはない。
それもまた、人生そのもののような気がする。

これほどつねに警告と教訓を与えられているのだから、他のつまらない失敗などで、響の生にマイナスをもたらすようなことはしないぞ、考えて生きるぞ、と自分に誓う。

 

「続・歩くように 話すように 響くように」連載第38回より再録


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