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春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート 堀切和雅

ここまでの歩み 編  – その12 –

難病のミトコンドリア病をもつ僕の娘、響の高校入学式から始めた本連載。その彼女がこれまでどのように生きてきたのか、まず知っていただきたい。生まれてから4歳近くでようやく立って歩き出すまでのことは、2005年7月4日~9月30日「東京新聞」「中日新聞」夕刊連載「歩くように 話すように 響くように」、それを書籍化した『娘よ、ゆっくり大きくなりなさい』(2006年、集英社新書)にある。その翌年の同紙連載「続・歩くように 話すように 響くように」(2006年3月20日~6月10 日)全64回を、「ここまでの歩み編」としてここに再録する。その12は、新聞連載の第41~44 回(データ等は当時のものです)。


41
轢かれた猫を救わない

ある日の午後、幹線道路を走っていると前車の轍の間から黒っぽいぼろ切れ・・・・のようなものが現れる。急停止と同時にハザード・ランプ。その間に、ぼろ切れが倒れた猫だと知れる。考える前に車を降り駆けだしていて、猫の瞳を覗き込み微かな息を聴き、瀕死だと理解する。

幼い頃から猫を飼い、その死にも出会い、いささか神経質な小学生だった僕はいつも、いまこの瞬間にも世界中で猫は死に続けていると心を痛めていた。奇妙な考えだが、世界中の猫の死に責任を感じていた。だから、通学路で撥ねられた猫の死骸を見つけると、血や内臓のかけらに怯えながらも、それを近所の林に埋葬せずにはおれなかった。息があればもちろん、動物病院に連れて行こうとした。自転車の荷台に括りつけた、小さな箱に死にかけた猫をそっと入れて。

でも今日、僕は轢かれた猫を救わない。抱き上げたその身体は、響と同じ柔らかい生きものの感触。少しのあいだ車道に立ちつくし、猫を救わないことを決め、歩道の隅に横たえて、車から持ってきたタオルを掛ける。

運転を再開しながら、いま決めたことの意味を思う。もちろん猫は、助からなかっただろう。虫の息だった。でも子どもの僕だったら、動物病院に運んだはずだ。自分が納得するためにも。

だけれど僕には響がいる。何もかもを、するわけには行かないのだ。そしてもし車におそらくは野良のその猫を載せていくのなら、何らかの感染症源をもっていることもしっかり懼れなければならない。
優先順位をつけなければいけないのだ。響に僅かの危険も引き寄せまいと、僕は生まれて初めて、いま、轢かれた猫を見棄てる。

「それぐらいのこと」と思われると、思う。だが誰の心の奥にも、子どものときの魂はずっと、いる。深い谷を跳ぶような一歩。こうして僕は幼い頃からの拘りのひとつを、ようやく棄てることができる。

大人になることは、ひとつには、自分の限界を知ること。世界のすべては救えない。悲惨事は熄まない。そのこと自体は変わらず受け容れがたい。でも、この現実のなかで次善を可能にすることであるならば、僕はいまやそれを受け容れる。
響がいるから。

「続・歩くように 話すように 響くように」連載第41回より再録


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