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春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート 堀切和雅


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陽子の思ったこと(続き)

「響ちゃんに障碍があると思うあまり、彼女の可能性を狭める対応をしてしまっていないかな、と考えることがあるの。あなたは、響ちゃんはこの世であんまり辛い思いをしなくていい、という姿勢じゃない?」

──まあ、単に性格の弱さでその場を響のわがままに負けてやり過ごす、ということはあるけど。

「でもさあ、もしかしたら響は私たちより長生きして、その後の人生っていうのがあるかも知れないわけじゃない? だとしたら、ちゃんと生きていく力が付くように、人生の厳しさも教えてあげなくちゃ、と思う。私のママは、全身不随のパパに、ハンドルを突きつけて、「またみんなでドライブに行くのよ!」ってやって、功を奏したのだから。

──でも響の言うことの聞かなさって言ったら……。

「それが、幼稚園に行くことでとか、宗田さんがシッターに来てくれることで、響ちゃん変わるじゃない。幼稚園の先生や宗田さんは、普通の子と同じように響に対しようとしていて、響もある程度それに応えているのよね。だから私たちも、少なくとも腫れ物に触るような扱いはしない方がいいと思う」

──響の人生が短いとしても?

「短いとしてもよ。それに、短いかどうかなんて分からないじゃない。響ちゃんの掌の生命線はとっても長いのよ」

幼稚園に通い始めてからの響は、毎日膝を擦りむいて、臑をあざだらけにして帰ってくる。転びやすいから。でも爪の間を砂や泥でいっぱいにしてくるその姿を、「普通の子っぽくていいな」と思う。それまでほんとに、無菌室育ちのようなものだったから。
けれど現実にいま、多くの子と会い、触れるようになったせいか早速風邪を引いて入院しているのも、事実だ。通常の環境にいることによって響が伸びていく面も、ダメージを受けうる面も、つねに考えて「今日出かけさせていいか」を決めなければならない。そのバランスは難しい。「外の世界」へ適応し多くの人と応答していくことを目指すべきだが、やりすぎは危機的な発熱をもまねく。

世界中を見回すが、もちろん答えはどこにも書いてない。これまでもずっとそうだったように。

「続・歩くように 話すように 響くように」連載第43回より再録


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