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春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート 堀切和雅


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火口ほくちとなりせば

連載を読んでくださっていたある都議会議員から、「お話を」という連絡があり、お会いしてみた。先方は都議3人とスタッフ。響が幼稚園を探すのに努力を必要とした話に着目されたらしい。自治体の議員として、問題発見能力のある方たちだな、と思った。

連絡を下さった議員はご自身が3人の子持ちで、家族というものの良い面は充分に感じておられるようである一方、何もかもを家族が「抱え込んで」しまう結果にもなる、福祉についての人々の意識の問題について、認識を分かち合ってくれた。

「就学前(保育園・幼稚園)の時期にこそ、健常児と障碍児が一緒に過ごす環境を整えるべきだ」というのが彼らの考え。僕ももちろん同感。社会に必ずある割合でいる、障碍児・者(そしてその割合は増えていく。超未熟児など、危地から救える命が増えているのだから)から隔離された、幼時「エリート」教育は問題含みだ、という点でも一致。
この人たちは議員だから、実際に申し入れをしたり条例案をつくったりするかも知れない。伝えなければ。

もうひとつ、健常児と一緒の方が、障碍児も伸びる場合が多いと思う、ということを、響を思いながら僕は付け足した。伸びられるところまで伸びれば、自分でできることも増えて本人はもちろん嬉しいものだし、いやな言い方だが社会的コストも結果的に減じる。幼時の統合教育はWin-Winなのだ。

読者からいただいたお手紙にも、そこに言及したものがあった。皇室が福祉に力を込めた活動をするのを見るにつけ、将来女性天皇になる可能性のある「愛子さま」と響ちゃんが触れ合うことが実現しなかったのは残念に思う、皇室好きな私にとっても……といったこと。これはもう少数意見とは言えないと思う。
我が家にとっては、もう響はよき魂たちに充ちた幼稚園に入ったのだからこだわらないのだが。

僕が車で響を迎えに目白通りを走り出すとき、「愛子さま」が降園するタイミングなのだろう、多くの私服警官と警察車輌に護られた窓の黒い車を含む車列が通る。

同じ4歳の児の親として、いろいろな感想が交錯する。

 

 

「続・歩くように 話すように 響くように」連載第44回より再録

―つづく―


ほりきり かずまさ はじめ編集者、つぎに教員になり、そうしながらも劇団「月夜果実店」で脚本を書き、演出をしてきた。いまや劇団はリモートで制作される空想のオペラ団・ラジオ団になっている。書いた本に『三〇代が読んだ「わだつみ」』『「30代後半」という病気』『娘よ、ゆっくり大きくなりなさい』『なぜ友は死に 俺は生きたのか』など。

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