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春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート 堀切和雅


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幼稚園での響 ①

他の子どもたちに響がどう受け入れられたのか、あるいは受け入れられきれていないのか、ずっと気になっていた。担任の角井美穂里先生に、お話を伺う。

「進級式のとき(響以外のほとんどの子は、年少からの持ち上がり)に、話をしておいたんです。『こんど、病気であまりうまく歩けない子が来るから、みんな助けてあげてね』って。子どもたちは『助けてあげるっ!』って意気込んでいた」
「入園してしばらくは、私と麻友美先生(坂本麻友美先生。園児全体の補助についているが、結果的に多くの場面で響がお世話になっている)と、正直二人がかりでした。

──全く言うこと聞きませんからねえ。じっと座っていないし。
他の子がびっくりするとか、退いてしまうということはなかったですか?

「響ちゃんって転んでも転んでも、すごい勢いで歩きたがりますよねえ? その姿がインパクトがあって、子どもなりにぎょっとした、ということがありました。それで響ちゃん、外に出るとあの広い園庭を3周ぐらいするんですよね。それを麻友美先生が追いかけて……そのうち砂場に入ったんです。

ちょうどクラスで砂場が流行っていて、ぺたんこ座りして『お城』をつくりはじめた響ちゃんに、砂場にいた子が呼びかけるようになりました」

「お弁当も、響ちゃん自分で食べようとするのだけど、途中でうまくできなくなると、隣の子が助けますね」

──(写真を見ながら)あ、この子よく響のそばにいますね。

「その子は三月生まれで、いつも学年で一番月齢が下なわけですけど、響ちゃんを助けて、世話ができるのがうれしいんだと思います。

──響の方が大きいけど、妹、みたいな感じなんですね。

「ええ。それはクラス全体にあって、朝、『今日は私が響ちゃんと遊ぶ!』『今週は僕!』みたいな、響ちゃんの取りっこになる場合もありますね。
いまは、子どもたちは誰かの世話をしたい時期だからそれもいいかな、と見ていますが、一方で『響ちゃんだからいい』だけでなく『響ちゃんでも、自分でちゃんとやらなきゃだめ』というのを、子どもたちに見せていかないといけないですね」

 

「続・歩くように 話すように 響くように」連載第48回より再録

―つづく―


ほりきり かずまさ はじめ編集者、つぎに教員になり、そうしながらも劇団「月夜果実店」で脚本を書き、演出をしてきた。いまや劇団はリモートで制作される空想のオペラ団・ラジオ団になっている。書いた本に『三〇代が読んだ「わだつみ」』『「30代後半」という病気』『娘よ、ゆっくり大きくなりなさい』『なぜ友は死に 俺は生きたのか』など。

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