春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート
ここまでの歩み 編 – その14 –
難病のミトコンドリア病をもつ僕の娘、響の高校入学式から始めた本連載。その彼女がこれまでどのように生きてきたのか、まず知っていただきたい。生まれてから4歳近くでようやく立って歩き出すまでのことは、2005年7月4日~9月30日「東京新聞」「中日新聞」夕刊連載「歩くように 話すように 響くように」、それを書籍化した『娘よ、ゆっくり大きくなりなさい』(2006年、集英社新書)にある。その翌年の同紙連載「続・歩くように 話すように 響くように」(2006年3月20日~6月10 日)全64回を、「ここまでの歩み編」としてここに再録する。その14は、新聞連載の第49~52 回(データ等は当時のものです)。
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幼稚園での響 ②
(角井先生の話、続き)
「瞬間瞬間が真剣勝負ですよ。『響ちゃんにどこまで許すか』という私たちの態度を、他の子どもたちは見ていますから。例えば、隣の子のお弁当にバッと手を突っ込んだり」
──あ、やっぱりそういうことやってますか。
「それは駄目、と伝える。それから礼拝中(力行幼稚園はキリスト教系)に立ち上がったりするんですが、これは明らかに注目を求める行動ですよね」
──それは健常な子でも、2、3歳だとたいていやりますよね。
「やります。でもすでに幼稚園にいる子は礼拝は静かに、というのは分かっている。そこで響ちゃんが注目行動を取ってしまったときは、手を繋いであげると落ち着くんですね。そういう場合もあるし、周りの子が教えることもある。響ちゃん、相手が大人だとわざといけないことするでしょう? でも友達に言われると、すっとおさまったり」
──うん。親が注意しても、かえって調子に乗る。「怒られている」というのが分からないのかな? とにかく深刻にとらえてくれない。それが悩みです。
「子どもってうまいんですよね。響ちゃんがそばの子のほっぺたをバシッて叩いたとき、その子はただ叩き返すんじゃなくて、響ちゃんの手を持って、響ちゃんを叩き返したんです」
そこへ、手が空いた坂本麻友美先生も来てくれた。
「私は響ちゃんについている時間が多いので、とにかく繰り返し、繰り返し教えていく、という形ですね。
外遊びをしていて、お弁当の時間になっても響ちゃんは『あそぶ!』と言ってなかなか園舎に入らなかったのですが、何度も教えるうちにだんだんスムーズに移行できるようになった。お友達が迎えに来ると、手を繋いで一緒に行きます」
角井先生も言う。
「ほんと、『子どもが先生』ですよね。
一方、私たちも、一挙手一投足を子どもたちに見られている。響ちゃんに対してどう接するかで、私たちの教えることに筋が通っているかが問われる。響ちゃんがいると、そういう問題というか課題が、露わになる瞬間が多くなる。
そういう意味で、彼女が来てからとくに、毎日がドラマチックです。それで、響ちゃんはとてもあったかい子だから、感動があります」
「続・歩くように 話すように 響くように」連載第49回より再録
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