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春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート 堀切和雅


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どれだけ広い世界に?

いま幼稚園で響は、ともだちにとても親切にされている。

お弁当を食べこぼせば隣の女の子が口に入れるのを手伝ってくれるし、ウサギとニワトリの小屋で小屋の掃除と餌やりをするときも、いつもは女の子と仲良くしないタイプの腕白な男の子たちが、すっかり助けてくれたそうだ。
響は邪険にされるどころかむしろ「助けてあげたい子」としてともだちの間で取り合いになっているという。響はとくに感謝なんかしてないと思う。それがまたいい。

当面は、響を仲間として援助することに、こどもたちが飽きたりうんざりしたりしないといいな、と思う。いずれにしろこの環境は僅か2年で、今度は小学校ということになる。

また奮闘だな、と思う。低学年ならまだしも、高学年になった時には何らかの形で響は居場所も過ごし方も健常児と分けられているだろう。その時「**教室にいる」「登校口で会う」「遠足は一緒に行く」あの子、として響が集団のなか、なにかの魅力を放っているようにしたい。

障碍の児と過ごしたことがなく「引いてしまう」子たちも新しい同級生のなかにはいるだろう。響がどう生まれてどう生きてきたか、親として子どもたちに伝える機会をつくってもらおう。

「普通学校における特別支援教育」が本格的実施に入る年に、響は小学生になる(平成18年学校教育法一部改正。第一世代だ。
学校も、話は聞いてくれるはず。
そんなふうに、いつも先回りして考えている。心配が過ぎるだろうか。

  旧法の「特殊教育」は「特別支援教育」に改められ、障がいのある一人ひとりの児童生徒のニーズに適した教育的支援をおこなうとし、盲・聾・養護学校は「特別支援学校」に、それ以外の小中学校(いわゆる普通学校)は、障がいのある児童生徒の学習・生活の困難を克服するための「特別支援学級」を置くことができる、とした。施行された翌年(平成19年=2007年)は特別支援教育元年とも呼ばれている。

響が長く生きられる場合を考える。
学校にいる間は、家庭と学校とがほぼ響の過ごす世界だから、そこでの無事と環境の整備にできることをやればよい。

だがもし、響が大人になれたら?

響は、どんな大人になるのだろう。

その時にも、響を愛してくれる人たちがいるように、優しく温かい性格に育てたい。これからいろいろな欲求や興味が強くなり、拡がり、赤ちゃんの生活の延長のようなことではいられなくなるだろう。
欲求や興味は誰にとっても十全に叶えられるとは限らない以上、むずかしいことだが、どこかで充ち足りた、ねじれのない心でいてほしい。

響は、この世で「役立つ」仕事をしなくとも良い、と前に書いたが、ではどのような暮らしになるのだろう?
それらを実際のこととして考える頃には、僕ら夫婦の寿命も終わりに近づいている。やはり何らかの形で「自立」を図るほかないのか?
「子ども」として家族の保護と社会の援助に二重に支えられて生きていくことには、時間的限界があるわけだから。

響の成育を助けてくれるたくさんの専門家に出会ってきたにもかかわらず、家族の外に、響が出ていくのが心配。考え方が古いのかな?
でもいまある仕組みでは、服薬も緊急処置も複雑、心身ともに障碍がある希少難病者の豊かな生は保障されないように思う。

響の様子をつねに見ていて、たとえばいまの微熱は危機的なものに発展しそうかある程度判断し、ほんとうに危機になったら救急要請をし、感染は命に関わるから個室に入院させ、数週間は添い寝して夜間の症状悪化にも目を配り、配偶者は仕事を休んで病室に必需品を運ぶ。

制度のあり方はもちろん本源的であり死活的だ。

けれど制度が届きえない領域で、生死がわかれる命も多くある。
どうすればいいのだろうか。

 

「続・歩くように 話すように 響くように」連載第55回より再録


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