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春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート 堀切和雅


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響の明日

響の明日は、わからない。これまでも、これからも、わからないということは変わらない。けれどわからないまま響は、計りようのない暖かみを、見えない光を発散してきた。
僕らはそれを享けている。

「わからなさを生きる」、そういう言葉が浮かぶ。誰もがみな、明日という日のわからなさを、いま、生きている。
それにしても僕らの暮らしでは、それがやや極端になっている。

僕らは予定をすべて、未定として扱う。小学生になれるか、ならないのか──例えばそうした大きなことにも、両様を想定して心を備える。来週旅行に行けるかだって、その日にならないと分からない。いつもキャンセルを意識しながら予定を思い描いている。

そういう生活習慣の変更は、おそらく、人生とか運命という観念に対する根本的な態度の変更を伴っている。次の一時間にさえ確からしさをほとんど求められないから、無常とでもいうべきものが僕ら家族の背景の空に、透明な雲みたいに漂っている。

響はたぶんこれからも生きて、様々な新たな課題を投げかけるだろう。取り組むのは三人、全員で。なにしろ生きてこの世界を新しく深く感受するのが響の仕事で、それに手を添えようとするのが僕らの役割。
そう思いきめても次々起こる心配事には慣れることはできないが、透明な雲の空だって明るい、そう思って立っていないと、自分たちが保たない。

現に今日(2006年6月7日)、響は夏の風邪で急遽入院することになった。高熱で、タチの悪い風邪のよう。5月にも入院したのに、また。週末の楽しみだった予定もすべてキャンセル。
でも皆さん、響は、十日もすれば元気な顔でまた家に帰ってきます。入院の間、医師たちと、僕らが響の命を見張っています。だから大丈夫、きっと。

さあ荷物もできたようだ。出発しよう。
こんな危機の刻にも、いつも頭の隅を流れている唄がある。響が見ているアニメ「マドレーヌ」の挿入歌。これだけは確かだよね。そうだろ? 響。

♪   最高のプレゼント
  お金じゃ買えないもの
  愛に満ちた
  人たちが
  いつもそばにいる
  それが一番さ    ♬ 

 

「続・歩くように 話すように 響くように」連載第63回より再録


─ 了─

ほりきり かずまさ はじめ編集者、つぎに教員になり、そうしながらも劇団「月夜果実店」で脚本を書き、演出をしてきた。いまや劇団はリモートで制作される空想のオペラ団・ラジオ団になっている。書いた本に『三〇代が読んだ「わだつみ」』『「30代後半」という病気』『娘よ、ゆっくり大きくなりなさい』『なぜ友は死に 俺は生きたのか』など。

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