『なないろペダル』によせて
フェンスを越えて、来てください
『なないろペダル』によせて
パタゴニアに移住してからの10年間に我が家にやって来た旅人は、世界30カ国以上から、ボランティアも含め200人を越えた。日本人は、30人くらいか。麻耶ちゃんは、印象に残っている旅人の一人だが、他にも、印象に残っている夫婦がいる。
彼らは世界一周旅行の最後にパタゴニアにやって来た。旦那さんは40代。奥さんは30代。せっかくうちまで来たのに、旦那さんは「父親が正月には帰って来いと言ってるから、帰らないと」と一泊だけして、先を急いで行った。イギリス人の夫はよく、「日本の人は両親をバックパックに入れて旅行している」と言うが、本当にその通りである。
ところが数日後、奥さんから電話があった。サンチャゴのバスターミナルで、カメラや携帯、パソコンが入ったバックパックを盗まれてしまい、旦那さんは悲嘆に暮れている。「パタゴニアに、戻ってもいいでしょうか?」と言うので、「もちろん、すぐに戻っていらっしゃい」と答えた。
結局、彼らはうちに1週間滞在し、その後、友人の農場に3週間滞在して行った。友人の農場は村から15キロ離れていて、川の向こうにあり、大きなショッピングカートのようなケーブルカーに乗って、川を渡らなければならない。インターネットも携帯の電波もない。
二人は毎日、畑の手伝いをしたり、森を歩いたり、牛追いをしたり、牛の乳を搾ったりする生活をして、旦那さんは大好きなギターを毎日弾き、歌を歌い、奥さんは大好きな絵を毎日、描いていた。3週間後、会いに行くと、二人の顔がすっかり変っていた。生き生きとして、輝いていた。日本に帰ってから、やりたいことが、見えてきたと、目を輝かせて話してくれた。
パタゴニアを旅して、人生が変わったという旅人は、多い。自然の壮大さや厳しさの中で、自分の弱さを感じたり、シンプルな暮らしの中で自分が満たされている瞬間を発見したり、思い通りに行かないことだらけで、憤慨した末にすべてを諦めて、天に身を任せてみたら、すんなりと物事が運んだりというエピソードもよく聞く。
私自身、パタゴニアに住んでみて、どんどん自分がシンプルになっていくのを感じている。雨が何日も続いた後に太陽が出ただけで嬉しかったり、畑仕事の合間にふと顔を上げると雪山が遠くに見えて、それだけで、喜びを感じたりする。
ここには、都会にある便利さや物の豊富さはない。あるのは、森と川と山と湖と氷河。
その広大な自然のエネルギーに、日々、同調していくと、社会にあるハイラーキーは実は自然の中にはなく、自然の中では自分も含めて、昆虫も鳥も花もすべてが平等な位置にあり、全てが有機的につながって、無限に広がっているということにも、気づいた。
これからパタゴニアを旅する人たちは、どんなことを感じるのだろう。
自分のコアの部分にどんと突き付けてくるような、荒々しい自然のエネルギーを感じて、揺さぶられるだろうか。揺さぶられた後に、いろんなものが削ぎ落されて残った自分は、どんな自分になるのだろうか。
- 写真はいずれも著者のくらす家とその周辺の風景。Paul Coleman撮影
編集部より: このみさんとポールさんを訪ねた青木麻耶さんが『なないろペダル』「エピソード3パタゴニア編」の「シンプルライフ」(カラーページもあり)で、お二人のくらし・家屋・菜園・土地を紹介しています。