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サムルノリへの旅 香村かをり その1

田正彦さんとハバナムーン

田ちゃんは、ハバナムーンのカウンターで働いていた。恵子さんの暴走を止めたり、喧嘩したり、集う魑魅魍魎の表現者たちを相手にしながら、自らもいろいろな活動を行っていた。韓国の伝統打楽器ユニット「サムルノリ」グループの初期日本公演にも関わっていた*10。ハバナムーンに来る前は、大阪の朝鮮密集居住区「猪飼野」で、朝鮮人問題関連活動(本人談) をしていて、その後東京に来たという。

私は、高校生になるまで「誰それは在日だ」というような知り合いも噂話も聞いたことが無かったし、そもそも「在日」という言葉が何を意味するかさえ知らなかった。言葉を知った後も、なぜ日本に「在日韓国朝鮮人」がいるのかもよくわかっていなかった。そんな無知な私にとって、在日だと自ら名乗る友だちは、田ちゃんが初めてだった。

当時、ライブハウス等でバンド活動を始めていた私は、ハバナムーンが生んだイベント、1981年夏の「天国注射の昼」にも参加した。その興奮が落ち着いたころ、田ちゃんが、いきなり「お前の学校の校長先生が出した本の書評を書いて」と言ってきた。そのころ田ちゃんは、朝鮮に関する図書資料月報『ソダン서당書堂』を発行していて、そこに書けというのだ。月報の他の執筆陣は、研究者や作家など、しっかりした文化人ばかりなのに。

前年度に退職された大島孝一先生*11は、中高一貫校の校長職のかたわら、クリスチャンとして人権問題や平和運動に取り組み、とくに当時軍事政権下にあった韓国で弾圧された人々の支援を行っていた。1974年8月には「金芝河らをたすける国際委員会」代表団の一員として、朴正煕大統領に渡す政治犯釈放を求める署名を携え韓国を訪れ(自宅軟禁中だった金大中氏にも面会している)、その体験記をふくむ『自己確認の旅』という本を出版したばかりだったのだ。田ちゃんはその本を私に手渡した。今考えると、いくら自分の学校の校長先生だった人の本とはいえ、当時私は高校3年生だ。高校生に「書評」を書けとは、田ちゃんも大胆である。

田ちゃんは、左翼活動家であったと自分で言うくらいだから、ずいぶんとはっきりものを言った。田ちゃんから見たら私が幼かったせいもあるだろうが、いつも「お前、やれよ」という口調だった。だから、雰囲気に押され「わかった」と答えた。しかし、文を書くのが苦手な私には、人生初の「書評」は産みの苦しみだった。当時は、書評としてはあり得ないくらい変な文を書いてしまったと思った。ずっとそう思ってきた!

今年になって、田ちゃんは当時の『ソダン書堂』のコピーをくれ、40年ぶりに読み返した… 感想は、書かないでおく!

 

*10  1982年11月法政大学公演、83年8月のジャパンツアー。
*11 大島孝一:教育者、物理学者、平和運動家。1966~80年に女子学院院長。日本戦没学生記念会(わだつみ会)常任理事や日本キリスト教協議会靖国神社問題特別委員会委員長などもつとめた。2012年没。『自己確認の旅』は新教出版社、1980年刊。

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