出版舎ジグ
jig-web 連載

田正彦さんとハバナムーンヘッダー画像

サムルノリへの旅 香村かをり その1

田正彦さんとハバナムーン

その後、田ちゃんは、先にも書いたとおり、オフィスハバナムーンのスタッフとして、1982~1983年にわたる2回のサムルノリの法政大学公演(千野秀一さん*12や仙波清彦さん*13、菅波ゆり子さん*14たちとの共演)のスタッフとして活躍した。

ハバナムーンにはそのサムルノリ法政大学公演のポスターが、長い間貼られてあった。私は、コンサートには行かなかったものの、そのポスターを何度も見て、また周囲のミュージシャンが「すごい韓国のグループがいるんだよ!」という熱く語るのを見て、「いつの日か行ってみたい」と希望を温めていた。

そしてそれが実現した日、運命が変わったのだった。ハバナが無かったら、今の私は無かった…… 後日、田ちゃんは「韓国人の俺より、かをりの方がはまっちゃうなんてな~」と笑っていた。

それからお互いに、遥かに長い歳月が流れ、私は一人で韓国に渡り、サムルノリの音楽、それを育てた大地の気に触れ、学び、結婚し、新しい命を授かり、帰国し、今こうしている。田ちゃんはハバナムーンをやめた後、沖縄にいたという。SNSを通じて連絡がつき、またゴールデン街で、今度は自分の店「ナグネ(さまよい人)」という店をやっている。私は時々会いに行く。

自分のチャンゴや即興の公演や、韓国から来日したサムルノリの先生方の公演のチラシを置きに行ったり、ふらりと立ち寄ったり。そうこうしているうちに、例の田ちゃん節「お前、ラジオ出演しろよ。」またまた有無を言わせない(笑)。

こうして2021年3月から、田ちゃんの運営・進行する「コラム・マガジン的レジスタンス・ラジオ」YouTube配信の「ナグネ・ラジオ」*15に、「サムルノリと私の韓国」と題して、月1で出演しています。

*12 もとダウンタウンブギウギバンドのキーボード奏者。サムルノリの日本進出の立役者の一人。現在ベルリン在住。
*13 邦楽お囃子「仙波流」家元。もとT-squareパーカッショニスト。
*14 バイオリニスト。現在名は向島ゆり子。千野と共にソウルに行き、初期サムルノリに出会う。
*15「ゴールデン街ナグネから毎週お届け!YouTube配信の『コラム・マガジン的レジスタンス・ラジオ』nagune radioです! 」

久我農園の豊作祈願祭にて
写真撮影:村山雄一 2021年5月8日、久我農園(千葉県いすみ市)豊作祈願祭にてチャンゴ演奏中の筆者
  • サムルノリへの旅 について
    「先生たちが、いつもいつもあの音を聴かせてくれて、ずっとずっとそこに浸っていられていたら、自分では演奏しなかったかもしれないと思っています。でも、もう先生たちが集って、あの音を出し続けてくれることはない。よくビートルズに例えます。あの4人、特にポールとジョンの合わさった音、それはもう2度と戻らない。ばらばらになったメンバーがビートルズの曲をやっても、リバイバルでしかない。あの熱さ、あの感動は、あの時のあのメンバーでしか生まれない。サムルノリもそうだと思う。それでも、聴きたいんだよね。終わりなき飢餓感。だから、自分で音を出そうとしている気がする。あの時のあの音を求めて。
    在日の友だちが「上手い」と言ってくれても、全然満足できない。
    そりゃそうだ、求めているのが「あのサムルノリ」なんだから。私の人生は、ほんとに、あの音に出会うための旅なんだなあと思います。」
  • 隣国が遠かった時代から国境をこえて音を探し求めてきた、その旅と出会いの意味を現在から辿りなおすチャレンジとしてスタートします。

こうむら かをり コリアン・パーカッション奏者  1986年韓国伝統打楽器ユニット「サムルノリ」に衝撃を受け、88年渡韓、漢陽大学伝統音楽科で 打楽器と理論を学ぶ。結婚・帰国・出産など休止期間をへて、ソロや即興演奏、各種のイベントでのサムルノリチーム演奏、コンサート企画など活動中。Photo by Hiromichi Ugaya

【サムルノリへの旅】連載記事一覧はこちら »

↑

新刊のお知らせ