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『ひらけ!モトム』によせて

上田さんの歴代介助者のトーク

その1

決してひとりで生きてきたわけではなく

上田:
もともとは子どもが嫌だったんですよ。嫌いだったんです。障害を真似したりね、囃し立てたりね、さんざんしてきた子どもが嫌でした。

でも演劇ワークショップをやったおかげで、真似されていやだった障害も含めて曝け出していくと、自分の表現につながって、ぼくや仲間たちをひとりの人間として認めさせるきっかけになるのかな。

そう感じたもんで、演劇ワークショップにのめり込んでいったっていう経過があります。その中でいろんな人たちに出会えて、フィリピンなんかに行って、すごい歓待されて、海、漁村に行って。

岩下:
フィリピンに演劇ワークショップに行ったときの話ですか?

上田:
はいはい。漁村に行って、車いすを担がれて、海辺を歩いたとかね。なんのわだかまりもなく、いろんな状況が味わえたっていうのがすごい衝撃でした。あ、やっぱり演劇ワークショップやってよかったなと。

岩下:
曝け出す、みたいなところで、人としてつながっていくきっかけになったのかなあ、とぼくはいま聞いてて思いました。お互いがカテゴリーされた「障害者」とか「健常者」ではなくて、人として出会うきっかけになっていったのかなあと。

—曝け出すということ

岩下:
及川さんと中村さんから、『ひらけ!モトム』を読んでいただいた感想を共有していただきたいなと思うんですけど、いかがですか。

及川:
はい、さっきも言ったように、上田さんとはほんとに40年来の付き合いなんですけど、この本読んでほんとに上田さんのこと、知らないことがいっぱいあったなあと思いました。

上田さんの出生と言いますか、ご両親だけでなくて親戚一同、上田さんを隠すわけじゃなく、ほんとに上田家の後継ぎとして外に出していこうとしたっていうことがね、非常にその後の上田さんの活動というか、人生につながったんだなとよくわかります。

さっきの、自分を曝け出すっていうことも、演劇だけじゃなくて、いろんな地域社会での関わり、バスの乗車拒否への向き合い方にしても、そういう背景があったから、上田さんも非常に外に出ていくようになったのかなと、本からその軌跡がわかる。改めて上田さんと出会ってよかったなあと今思ってます。もっとたくさんの人に読んでほしいなと思います。

岩下:
ありがとうございます。上田さんの生い立ちの話はぼくはじゅうぶん書ききれなかったなと思っていて。当時(1950~60年代)は障害を持った子どもたちのための制度も全くなくて、本当に大変だったろうなと、今学んでいく中で改めて感じていて、もうちょっと書けたらよかったなと思っていたりします。中村さん、お願いします。

中村:
はい、ぼくも上田さんについて、いろいろ知らなかったことを、この本を通して知ることができて。たとえば上田さんのお母さんは、ぼくが介助してたころに(上田さんと)一緒に生活されていて、お母さんがご飯作って食べさせていただいたりしたんですけれども、口数も少なくて主張するタイプでもない、おとなしいお母さんだなと思っていたんです。

でも、自分が抱いていたイメージとは違う、お母さんが上田さんと歩まれてきた、非常に芯の強いものを感じて、すごく印象的でした。障害者運動というと、青い芝の会の活動などは、いろんな形で紹介されたりして、インパクトがあると思うんですけれども、上田さんはそれとはまたちょっと距離をとった違う形で、運動とも関わってきたっていうことも面白く読ませてもらいました。

―上田さんと「家族」の話

岩下:
ありがとうございます。あらためて紹介すると、上田さんは上田家総本家の9代目長男として、広島県江田島市の能美町に生まれてます。

ご両親はずっとお子さんに恵まれなかったので、後継ぎの大きな期待を背負って、上田さんは生まれてきたわけなんですね。上田さんはずっと「後継ぎ」の使命を背負って生きてこられたのかなあというふうにぼくは思っています。

上田さんは現在、結婚もされていなくて、血縁のお子さんもいらっしゃいません。ところが、和空くんと千種ちゃんっていう、ふたりのお孫さんがいらっしゃいます。あれ、どういうことなんだろうって、ぼくも最初思ったんですけど。

ビデオを見ていただいたらわかるかなと思うので、どんな家族なのかなっていうのを感じていただけたらなと思います。登場するご家族には、あらかじめ1番から3番まで3つの質問が用意されていました。

つづく

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