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『ひらけ!モトム』によせて

上田さんの歴代介助者のトーク

その2

決してひとりで生きてきたわけではなく

[進行]岩下紘己 [トーク]上田 要 及川 均 中村征樹  [ビデオ参加]島田一家

その1(トーク第1部)からのつづき

岩下:
トークの第2部として、上田さんが当時関わっていた活動について、及川さん中村さんと一緒に振り返っていきます。具体的には、先ほどもちらっと話が出ている「太陽の市場」の話と、「ぼらんたす」や「バス乗車拒否に対する運動」のあたりを伺っていきたいと思います。「太陽の市場」のあとに、そのメンバーで「みんなの広場」という八百屋を立ち上げたのが1985年なんですけど*1、その「みんなの広場」の当時の映像が残っています。まずはその動画から、当時の雰囲気であったりとか、空気感を感じ取っていただけたらと思います。(映像はこちらからご覧になれます。世田谷ライブ映像

—黒テントとの出会い

岩下:
短いビデオでしたけど、なんとなく当時の雰囲気を感じていただけたかなと思います。
ここからは及川さんと中村さんにお話を伺っていきたいのですが、まず及川さん、「太陽の市場」について、当時どんな活動をしていたのかをお話しいただけますか。

及川: 
もともとは黒色テントという劇団がありまして。黒いテントをもって全国を回る劇団です、当時は私は「太陽の市場」のメンバーではなくて、東京で黒色テントの演劇を成立させるお手伝いする、というようなグループにいたんですね。

岩下:
それは、仕事としてされてたんですか?

及川: 
いや、仕事ではないです。黒テントの演劇を何度か見て、ファンだったので、お手伝いをしたかったんです。黒テントは全国を回っていたので、各地で制作を手伝う人がたくさんいるんですけれど、当時の東京では、そういう人がいなくて、募集しようということになって、そこに私も参加していたんです。

—地域を巻き込んだ演劇

及川 
黒テントは世田谷の羽根木公園というところで、毎年テントを張って公演をやっていたんですけども、羽根木公園って世田谷区立の公園ですから、その公園を借りるためにいろんな手続きがあると。1981年に新しい作品を羽根木公園でやるってときに、なかなか簡単には貸してくれないっていう中で、じゃあ黒テントの演劇をやるだけじゃなくて地域の人たちを巻き込む形で何かお祭り的なことはできないか、といったところが最初の始まりだったんですね。

それで世田谷ボランティア協議会っていう、世田谷でいろんなボランティアだけでなくて、いろんな団体の方たちが集まってる協議会があるんですけど、そこの協議会の人たちと黒テントが一緒になって「太陽の市場」をやっていこうという話になったんです。そこに私なんかも関わっていったんですけどね。

黒テントが全国で公演していく中で、当然その公演するには広い空き地がなければいけないと。各自治体の中で公園を借りたりするんですけども、なかなかやっぱり営利目的だと公園を借りるのに制約があるんです。

黒テント自体が、公有地での演劇をさせろという運動的な側面も当時あったりなんかして、実際沖縄なんかでも裁判になったりなんかしたんですけどね。将来的には裁判するというよりは地域を巻き込んだ形で演劇を成立させたい、というのがきっかけで「太陽の市場」っていうのができていったわけですね。

—演劇ワークショップPETA

岩下:
なるほど、それで演劇ワークショップを使って、地域の人たちと一緒に演劇をやっていくという感じだったんですか?

及川:
演劇ワークショップ自体もそのお祭りの中のひとつの出し物ではあったんですけどね、演劇ワークショップというのは、フィリピンのPETAっていう劇団の演劇ワークショップの手法なんです。フィリピンのいろんな場所で、演劇の専門家じゃなく、本当に普通に生活してる人たちの中に入り込んで、演劇でもっていろんな問題を解決する、演劇を一つの手段として使うっていうのを黒テントがPETAから学んで、いろんな場所で実践していったんです。

つづく

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