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南インド放浪記 青木麻耶 その1

家庭料理と家族のかたち

最初に着いたのは東海岸の玄関口・チェンナイ。「カウチサーフィン」というサイトを通して知り合ったラジェシュが、わざわざ空港まで迎えに来てくれた。

そんな彼の家に着いてびっくり。なんと門衛さんのいる高層マンション街だったのだ。聞けばこの辺りで高さも家賃も一番だという。彼は医学生のための留学手続き代行ビジネスを起こしたワンマン社長で、年下とは思えないくらいの貫禄があった。当たり前のように車もバイクも持っていたが、インドでは車を持てるのは上位数%の富裕層だけだとあとから知って衝撃を受けた。

インド料理を習いたいと言うわたしのために、緑豆カレーと「プットゥ」の作り方を教えてくれた。「プットゥ」とは、彼の故郷であるケーララ地方(インドの南西にある州)でよく食べられる、米粉の蒸しパンのようなもの。赤米の粉に塩と水を加えてぽそぽそになる程度まで混ぜ、細長いステンレスの筒に半分あたりまで詰め、生のココナッツを削って間に入れ、また米粉生地を上まで詰めて蒸し上げる。筒の下は蒸気を通すための穴の空いた、可動式の円盤で仕切られていて、蒸しあがったものを下から押し出すと、ところてんのようにするりと出てくる。

ところでこのプットゥメーカー、なぜこんな不思議な形をしているのかというと、元々は竹筒でできていたようで、細長い形は竹筒の名残だったのだ。後日たまたま訪れた民芸館で、他の竹製品に紛れてこれを見つけた時には甚く感動した。

蒸し立てのプットゥは熱すぎて触ることもできないほどだったが、ラジェシュは慣れた手つきで上手に食べる。「スプーン使うか?」と聞かれたけれど、せっかくなので少し冷めるのを待って挑戦してみる。4本の指で混ぜ合わせると、ぷちぷちとした緑豆とどろっとしたカレー、パサっとしたプットゥが三位一体となっていく様子が指先から感じとれる。食感ならぬ「触感」。味覚、視覚、嗅覚以外に「触覚」という要素が加わることで、口に入れる前から食欲をそそり、まさに五感で味わうことができるのだ。指先ですくい上げ、親指で押し出すようにして口に運ぶと、マスタードシードの香ばしい香りと唐辛子の辛味、トマトの酸味とココナッツの甘みが口いっぱいに広がる。

朝食後は、インドの文化や価値観、家族のあり方、仕事、そしてお互いの恋愛や結婚の話に至るまで、たくさん話した。「僕もいい感じの女性がいたんだけどね、カーストが違うから結婚できなかったんだ」と少し寂しげに言う。今まで言葉しか知らなかった「カースト」が一気に現実味を帯びた。

ラジェシュによるとカースト制度は、元々は“それぞれの職業がなくなると困るから、勝手に職業を変えられないよう、代々同じ仕事に就くように作った制度”らしい。現在は職業選択の自由は生まれたものの、履歴書には今もカーストを書く欄があるし、異なるカーストの人との結婚は未だにほぼ不可能だという。今の上の世代の人たちがいなくなったら変わるかもね、と言うけれど、それにしても数千もあるカーストの中から自分と同じカーストの人しか選べないとは、なんて酷なんだろう。

気になって調べたところ、カースト制度は「ヴァルナ」と呼ばれる身分カースト(上からバラモン、クシャトリヤ、ヴァイシャ、シュードラの4つ。ダリットは“カーストの外”という扱い)と、「ジャーティ」と呼ばれる職業カーストの二本柱で構成され、カーストの数は仕事の数だけある(3000以上)そうだ。カーストは生まれ持ったもので、自分の意思ではどうすることもできない。だがヒンドゥー教のベースには「輪廻転生」の考え方があり、現世のカーストは過去世の行いによって決まったもので、現世の行いによって来世のカーストが決まる、だから来世はもっといいカーストに上がれるように今を生きよう、と考えられているようだ。

インドがはじめてだというわたしのために、ラジェシュは次から次へと南インド料理を用意してくれた。米と豆をすりつぶして発酵させて作った生地をクレープのように焼いたドーサや、蒸したイドリー、豆でできたドーナツ・ワダ。これにサンバル(豆や野菜の入った酸味の効いたスープ)やチャトニ(ココナッツやパクチーの入ったソース)をつけて食べる。今思い返しただけでもよだれが出るほど、どれも美味しかった。

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