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いただきもの おすそわけ 山内明美 その4

にしんの山椒漬け

- 青葉山での採集暮らしとよそ者の《風土》-

とまあ、このように自分でつくってみた。にしん鉢は、会津本郷焼の宗像窯の一品で、柳が日本津々浦々の「荒物」収集をしていた時代と違って、今は高級品である。さらに、このところ、気候変動や乱獲の影響で、年々にしん漁の漁獲量も減っているため、こちらも高級魚になりつつある。昔は常食だった「にしんの山椒漬け」は、観光土産となり、特別な郷土料理になった。

会津で暮らしていたころ、いつか自分のにしん鉢でにしんの山椒漬けをつくりたいと思っていた。青葉山で暮らすようになって、近くに山椒の木を見つけ、これでにしんの山椒漬けをつくってみようとずっと思っていた。昔は普通に食べられていた食事が、今は高級品になっていることによく出会うようになった。わたしたちは、とても貧しくなったかもしれない。


小学6年のころから田んぼを耕してきた私は、高校2年の秋に平成の米騒動と呼ばれた、米の大凶作を経験している。とりわけ三陸沿岸部の凶作は深刻で、長雨が続き、気象庁はついに梅雨明け宣言を断念した年である。私の実家の田んぼは1枚の田んぼ(10アール)から600キロほどのコメを収穫できるのだが、1993年の冷害の年はわずか20キロという悲惨な飢饉が村を襲った。この年、日本政府はタイから緊急輸入でコメ不足をまかなったのだが、「日本米」至上主義の日本では、その粒の形状や風味の異なるタイ米への不満が続出し、売れないタイ米の大量投棄が社会問題ともなった。その時のことを、思い出していた。

あれから30年近くたって、タイ料理の流行りなどから、日本社会でのタイ米需要は格段に進んだ。味覚というのは、広がっていくものだと思う。異郷の食べものを自分でつくって食べることは、自分の《世界》を広げる、とても大事な経験だと思う。(2020.5.27)

  • 柳宗悦『手仕事の日本』は「昭和十五年前後の日本の手仕事の現状」(同書の序)を記録し、1946年に初版刊行。引用出典は岩波文庫、1985年。引用に際し、ふりがなを減らしました。
  • 写真は全て筆者撮影

やまうち あけみ 日本学・地域社会学・歴史社会学

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