いただきもの おすそわけ その5.2
にしんの山椒漬け・番外編
-ラッコの毛皮を着たニシンへの道のり-
毛皮のコートを着たニシン 第1作目
材料
・ニシンの山椒漬け
・ビーツ → 軽くゆでてスライスし、甘酢漬けにしておく
・きゅうり → 荒くみじん切り
・たまねぎ → 荒くみじん切り
・じゃがいも → 塩コショウ、マヨネーズと和え、お好みのポテトサラダで
・ゆで卵 → フォークの背でつぶして、ミモザに*ビーツは、皮のまま丸ごと30分くらい茹でてスライスして、コショウ、酢に漬けた。
*セルクル(成形型)がない時は、円筒形の入れ物で良いです。例えば、ペットボトルやクリアファイルなどを切って円筒形にして使えばよいです。ロシアの一般家庭では、型は使わずに、お皿にミルフィーユ状に成型してのせていくようです。
この第1作目をつくってから、やはりこのサラダの名前の由来を知りたいと思い、大学院で同じゼミだったロシア出身のオルガさんに聞いてみた。彼女も“毛皮のコートを着たにしん”料理は認知していたけれども、その由来まではまったく知らないってことだった。
そしてすぐに彼女は調べてくれて、情報のリンクを教えてくれた。オリガさん曰く、
「ロシア語で元の名前を頭文字だけ読み上げると шуба になる。毛皮のこと。Шовинизм шから始まり、次々に、Упадку のу 、Бойкот のб、Анафема のа、と最初の文字だけ並べると、шуба。」
続けて「私知らなかった。文化ナショナリズムの研究ですか?」って質問までいただいた。こんな研究ができたらとてもいいなと思いつつも、「いえ、研究ではないのですが、にしん料理を知りたくて」と返事をした。
オリガさんから教えてもらった記事「Происхождение названия “сельдь под шубой”
(”毛皮のコートを着たニシン“という名前の由来)」(*)を翻訳機で読んでみると、それはとても興味深い、概ね次のような内容だった。
「“毛皮のコートを着たにしん”は1918年に生まれた。激動の時代に生きた人々は、歴史の真実を見つけようとしばしば居酒屋へ通った。
反革命派の報復も相まって、不健康な雰囲気をモスクワの宿屋の店主たちは好まなかった。彼らは店が壊されるような損失や、考え方の違いによる顧客喪失を懸念した。人気店のオーナーだったアナスタス・ボゴミロフは、これを回避する方法を考えていたが、そこで料理人のアリスタフ・ポロコプツェフが、革命派の心の胃を満たすレシピを考案した。アリスタフは「世界料理」を思いついた。それぞれの要素には特定の意味があった。にしんは、彼が好きな食べ物のひとつで、プロシアを表した。ジャガイモ、ニンジン、玉ねぎは土に生きる農民を擬人化し、ビートは革命の赤い旗。サラダはフランスのマヨネーズを惜しみなく味付けとして加え、大フランスのブルジョワ革命への経緯のしるしとして、または逆にボルシェビキの外敵の思い出として。」
その名は、«Шовинизму и Упадку – Бойкот и Анафема»(「排外主義と凋落はボイコットし、アナフェマ(殲滅、凄絶)に処すべし」)、略してШ.У.Б.А(毛皮)。
このサラダは客に大変好まれ、積極的に食べられた。さらに酔っ払いが暴れることも減った。“毛皮のコートを着たにしん”は(1919年:ロシア革命)大晦日に提供され、伝統的な正月料理になった。
加えて、この料理はユダヤの伝統料理として語られることもあるが、ユダヤ料理の方はマヨネーズを使わないため、“毛皮のコートを着たにしん”にはマヨネーズがなければいけないと書かれており、ロシア人が発明したものだ、とこの記事を書いたイゴール・レベデフ氏(Игорь, Лебедев)は書いている。