泣かないで と 泣いていいよ
2020年の3月に社会福祉士の資格をとって以降、「相談支援」などと呼ばれるお手伝いや仕事などを少しずつやるようになった。書籍の編集者の仕事は「書く人」(著者)が何を書いたらいいのか、どう書くべきか、どこに伝わるか・伝わらないか等々を「相談支援」して「併走」する仕事だから、どこか似通っているかもしれない。実際、なんらかの熱量を抱え、吐き出すポテンシャルの高い人から「言葉」や「着地点」を引き出すことに長けている編集者が、すぐれた仕事をしていると思う。
併走なので、道に迷わないように整理したり、はげましたり、エネルギーを補給したりするのが仕事であるけれど、同時に、併走者の側の無知や、不勉強や無神経を、ひっきりなしに怒られつづける(やさしい人の場合はやんわりと、だが)ことが必須で、これも、支援者に併走するソーシャルワーカーのありようと、とっても似ている。
そういうことを考え続けた2020年だった。
勉強しなきゃならないこと、アップデートしなきゃならないこと、怒るべきこと、喜ぶべきこと、がすごく増えた。コロナ禍の年になるとは知らずに、この年に資格をとったのだけれど(人生に結構ある巡り合わせの型でもある)。
相談支援について、ここに書けることは多くない(当然ながら守秘義務があるからだ)。
そのかわり、というわけではないけれど、ずっと頭に浮かんでいる光景があるので、2021年の1月の日記に記しておこうと思う。あるセミナーの最終日の出来事だった(2020年ではない)。
一人の女性が、そのセミナーで学んだことや交流できた内容を、参加者のあいだで共有しようと挙手して発言しはじめた。感謝や抱負を語った後、自分の(家族、生活、健康など)つらかった経緯を振り返りながら、ある時点で、それまでの嬉しそうな顔を一気に崩した。立ってマイクを握ったまま、泣き始めてしまって止まらなくなった。
私もふくめ、その場の進行役もふくめ、会場にいたほとんどの人が涙になっていたと思う。静かな沈黙の数秒・数十秒。重苦しい空気ではなかった。とはいえ、うれし涙ではない。こういうのをなんと呼ぶんだろう。しばらくの、本当に結構しばらくのたっぷりの沈黙の時間のあと、進行役はマイクを通じて会場全体にも向けてこう言った。
泣いていいよ。
この言葉はふつうに降りてきて、その空間に着地した。そのあと、またしばらくの沈黙、というか、たっぷりの息継ぎの時間があった。発言者は発言を終え、セミナーは修了した。
泣いていいよ、か。そうなんだ。その空間に降りてきた言葉が、私に着地するまでには、やや間があったのだ。子どもや友人、近しい人が泣いているときに私の投げかける言葉は、ほぼ必ず、
泣かないで。
なのだった。いまでも、まだそうだ。思春期の子がくやしさで泣き止まないときも、電話で相談相手が滂沱の涙に埋もれてしまうときも、その空気をしばらく共有し、息の音を聴いていても、やっぱりつい、言ってしまう。泣かないで。
息継ぎで脳に酸素が行かなくなるよ、ちゃんと思考できないよ、泣いてもいいことひとつも無いよと思ってしまうし、遠慮のいらない相手には実際に言葉でそう言ってしまう、泣かないで。
併走者としての力量の差が歴然としているではないか。泣いているんだよ、だから今は泣いていいんだよ。ほかに何をいうべきだろう。泣いてからだ。まず泣こう。
泣いていいよ。
泣くことで失われる時間や、思考や、行動を惜しんでいるうちには、こう言える力量はもてないだろうな。その場面とその時にいた人の表情を思い返しつつ、先が見えないコロナ状況に私も分け入っていこうと思う、2021年1月。