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春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート 堀切和雅

ここまでの歩み 編  – 最終回 –

難病のミトコンドリア病をもつ僕の娘、響の高校入学式から始めた連載、「春 待つ こころ--障碍の児の思春期、ノート」。響が、これまでをどのように生きてきたか、まず知っていただきたい。生まれてから4歳近くでようやく立って歩き出すまでのことは、2005年7月4日~9月30日「東京新聞」「中日新聞」夕刊連載「歩くように 話すように 響くように」、それを書籍化した『娘よ、ゆっくり大きくなりなさい』(2006年、集英社新書)にある。その翌年の同紙連載「続・歩くように 話すように 響くように」(2006年3月20日~6月10 日)全64回を「ここまでの歩み編」としてここに再録、今回はその最終回。=新聞連載第61~63回。ここまでが「ここまでの歩み編」。このあとも、ひきつづき、発信します。


61

つながり

手摺りをしっかり摑んで、先生に支えてもらいながらゆっくり階段を降りて行く。園舎の出入り口が見えてくる。舎内の日陰に四角に切り抜かれた戸外の日溜まり、お父さんが待っているのが見える。父である僕はその瞬間、響の笑顔がさらに何十ルクスか明るさを加えるのを見る。

それはただ明るさと呼ぶよりはもっと輪郭のはっきりした全的な信頼の輝きで、大人には真似のできるものではない。そして僕は自分の生が肯定されている、響によって承認されているという、深い充足を得る。
響を朝、幼稚園に送って行き、実に久しぶりの静かな数時間を家で過ごした後、午後に迎えに行くという生活が続いている。彼女が赤ちゃんのころからずっと、そんな時間はなかった。

それなのに迎えに行くときにはもうあの笑みに会いたい気持ちになっていて、彼女が帰ってきたが最後、もう我が家には仕事をする空間も集中のための静寂もないということも、覚悟の内になっている。

響はこのごろよく眠る。
幼稚園でしっかり遊び、学び、人とかかわって帰ってくるからだろう。眠くなる時間がいくらか定まってきた。「あしたもようちえん!」と彼女のなかで暮らしの「めあて」ができてきたからかも知れない。

NICU(新生児集中治療管理室)から出て初めてこの家に来たころから、響はなかなか眠らない子だった。
眠らない響を腕に抱えて、狭い廊下を毎夜何百往復したことだろうか。
生まれたての頃はまだ軽かったが病名も判らない一年半の間にも響は着実に大きくなって、陽子も僕も筋肉痛の腕に湿布を貼るようになった。

いま、寝かしつけるのは僕の役割。連れ合いは明日の登園の準備や家事を続けている。
ベッドサイドスタンドの仄明かり、響の頭の丸みは僕の上腕に。

眠り込むそのとき、響はむにゅむにゅと口をうごかし少し音をたてる。乳児のころの名残り。いまは幼稚園児の響のなかに、いまも赤ん坊の響がいるのだろう。
太古からずっと、地球のあちこちで、夜には小さく響いたはずのその音を耳許に聴き、なぜなのか笑みが浮かんでくる。奥深いどこかから止めようもなく。

どんな大人も眠りに落ちる瞬間には、少なくともその内部では「むにゅむにゅ」と音をたてているのかも知れない。そうしないと眠れないのかも知れない。
いちばんの安心の感覚。生きていることの芯にそれさえ残っていれば。
優しい顔で眠れる。

 

「続・歩くように 話すように 響くように」連載第61回より再録


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