春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート
62
響の今日
今日、響は園庭の水溜まりにどしどし入っていって「おふろー!」と言ってぱしゃんと座り込んだ。周りの子たちが唖然とするなか、そのまま仰向けになってきらきら光る太陽を見ていた。
2、3歳までなら誰でもやったようなことだろうけど、幼稚園児ともなるとそこまで後先考えない行動はあまりないらしく、目撃していた子たちはびっくり。「ひびきちゃんがねー」と事件について他の子らに話すのだった。
泥だらけになった服を持たされて響は帰ってきたが、「大変!」と言いつつ連れ合いは洗濯を準備し、僕は「楽しかったんだな」「空が見えたんだね」と思う。
今日、響は「さんりんしゃー! おさんぽ!」と、訓練用の三輪車で外に出たがった。
食卓の端っこでしていた仕事を中断し、彼女を三輪車に乗せ転落防止用ベルトを締め、複雑に入り組んだ裏路地を押していく。「すずしいねー」。風を受けてうきうきした笑顔に、放り出してきた仕事も大事だがいまこの瞬間には響の喜びの方が大切だ、と僕も風を吸ってみる。
そのうち彼女は「あるく」と言い出す。あまり車も通らない道とはいえ、アスファルトの上をやや前傾して歩く響はいかにも危なっかしい。方向を指定するのは無理で「こっち、こっち!」と彼女は三叉路や四つ辻を曲がりどんどん遠くへ行く。置いてきた三輪車も気になるし、抱き上げて連れ戻そうとするが欲求を遮られた彼女は凄い勢いで抵抗して泣く。
しかたなくまたちょっとの間歩かせ、また抱き上げようとし、既に暑い陽射しのなか攻防は続く。やっと三輪車のところに連れ戻し乗せようとするが響は激しく体を突っ張って抗う。僕の眼鏡を投げる。目をひっかく。
泣きたくなってくるが、何とかして家に連れ戻す以外選択肢はない。力ずくでベルトを留めて、響と僕は汗みずくのぎゃあぎゃあ泣き叫ぶひとつの塊のようになって家のドアに辿り着く。もうこりごりだと思うが明日も響は言うだろう、「おさんぽ!」。
今日も響は当然のごとく、夜に入っていよいよ激しくはしゃぎまわっている。体力の供給元をうしなう病気なのに、どこからこの元気は出てくるのか。明日もあるからやむなく、処方されているメラトニンを服ませる。なかなか効いてこないがやがて言う、「ねる」。
それからが、絵本読まされタイム。いい加減寝てくれと思うが、いつかすーすー寝息をたて始めるとその寝顔が何にも増して僕には尊い。心配事は数え切れないほどだが、「そうは言っても響は可愛い」。
毎日出す結論を出して、僕も眠る。
「続・歩くように 話すように 響くように」連載第62回より再録
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