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春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート 堀切和雅

ここまでの歩み 編  – その11 –

難病のミトコンドリア病をもつ僕の娘、響の高校入学式から始めた本連載。その彼女がこれまでどのように生きてきたのか、まず知っていただきたい。生まれてから4歳近くでようやく立って歩き出すまでのことは、2005年7月4日~9月30日「東京新聞」「中日新聞」夕刊連載「歩くように 話すように 響くように」、それを書籍化した『娘よ、ゆっくり大きくなりなさい』(2006年、集英社新書)にある。その翌年の同紙連載「続・歩くように 話すように 響くように」(2006年3月20日~6月10 日)全64回を、「ここまでの歩み編」としてここに再録する。その11は、新聞連載の第37 ~40 回(データ等は当時のものです)。


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世界で、いま一人? ②

ここには、ポスター発表のデータ*1 から、「他の二人」の情報が入った部分を掲げる。一番上のCase1が響。左から2列目と3列目の塩基、アミノ酸変異の欄を見ると、響と同じなのはCase3だけだということがわかる。*1. 2006年のミトコンドリア研究会ポスター発表。前回連載参照。

ミトコンドリア研究会で発表された響らのデータを示す表

 

「報告されたのが三例」というのは、エクソン4に変異が見つかったミトコンドリア病の児が世界で三人、ということらしい。

Phenotype(表現型)の欄を見ると、響はMR(精神発達遅滞)、Case3はLeigh(リー脳症)、NLA(出生時からの高乳酸血症)で、転帰は死、だ。Case3の子どもにはきょうだいが二人いたが、それぞれ生後3カ月、4カ月で死亡した、と欄外の説明書きにあった。

違うのは、ひとつは響のPDHC(ピルビン酸脱水素酵素)活性がNormal(正常)であること。それで響は生きているわけだ。これは何なのだろう? 遺伝子変異が全く同型なのに、症状がまったく異なる。ミトコンドリア病についての謎が、ますます深まる……。

ただし、響も、PDHC活性がNormalだったのは培養リンパ球の検査によるもの。他の部分、例えば中枢神経の細胞では、あるいは心筋細胞ではそれがどうなっているか、分からない。現に、彼女の脊髄液中の乳酸・ピルビン酸の値は相変わらず高く、ミトコンドリア病であること自体は間違いないのだ。

他の違いとしては、Case3の児の母親が同じ変異の持ち主(キャリア。Cで表示されている)であるのに対して、僕の連れ合いには変異はなく(表ではなぜか「?」となっている。これも「調べた範囲では」という限定付きなのか?)響の発症は遺伝子の突然変異によると言われていることだ。

しかしここで重大な疑念(あるいは希望)が生じてくる。Case3の児の母親は、響と同じR127W変異を持ちながら、成長して、出産までした!? もしかすると響は、生きて、大人になれる!? いずれこの発表の元になった論文を何とか入手して、識りたい。

「世界で三例目」とは言われていたが、響と同じ遺伝子変異で、いま確かに生存しているのは、報告されている限り響だけだ、と分かった。僕らと響が、ほとんど闇の薄明を手探りで歩いているみたいになるのも、尤もだ。

しかし、他の、類例のあるミトコンドリア病の患者さんでも、人によって、また生涯の時期によって、症状が大きく異なるのは同様。
患者たちはそれぞれのミトコンドリア病を生きるほかないのであり、ひとりひとりが「世界で一例」とも言えるのだ。

 

「続・歩くように 話すように 響くように」連載第37回より再録


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