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春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート 堀切和雅

ここまでの歩み 編  – その15 –

難病のミトコンドリア病をもつ僕の娘、響の高校入学式から始めた本連載。その彼女がこれまでどのように生きてきたのか、まず知っていただきたい。生まれてから4歳近くでようやく立って歩き出すまでのことは、2005年7月4日~9月30日「東京新聞」「中日新聞」夕刊連載「歩くように 話すように 響くように」、それを書籍化した『娘よ、ゆっくり大きくなりなさい』(2006年、集英社新書)にある。その翌年の同紙連載「続・歩くように 話すように 響くように」(2006年3月20日~6月10 日)全64回を、「ここまでの歩み編」としてここに再録する。その15は、新聞連載の第53~56回(データ等は当時のものです)。


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小学生時代を空想する

生きられても1歳か2歳まで、と思っていた。世界から伝え聞く、数少ない、響と同じタイプのミトコンドリア病をもって生まれた赤ん坊たち、その症例。その子たちも長く生きられなかったのだから。

それを「覚悟」とはとても言えない。ただ思っていた。いくぶんかは途方に暮れて。だけどいつも3人で、笑って。

以来4年。おどろくべきことに彼女は幼稚園に通っている。
彼女はそう簡単に生命を落としはしないのではないか? ともこのごろは思う。その根拠はあまりにも眩しくひかり出てくる彼女の内面のかがやき、しぐさ、ことば。すると途端に、毎日のようにその前を通る区立目白小学校にやがて響が入学するのではないかと、以前には少しも思っていなかったことがいま、空から突然墜ちてきた現実のように新たな輪郭をすでに備えている。それは強烈なイメージとして目の前の舗道から少し浮いて、どんどん精密な画に僕の頭の中ではなってくる。

想像しすぎてはいけない。想像とは大きくはずれるもの、それが未来。

いま通っている力行幼稚園は彼女にとって最上の環境だと思う。幼時には競争を過度にさせないということがここの基本にあるようだ。響は、この世界で生きていくためのこころと気配のやりとりを、友だちと学び合うことができる。

けれど小学校に入れば、教科学習の時間も待っている。書いてきたように、就学前もその後も響と他の健常な子が一緒にいるのが互いにとっていいことだと僕は考えているが、競争が始まると、響はついて行けなくなる場面もあるだろう。いつまで彼女は、同級の友だちといつも一緒でいられるのだろうか。
部屋が分かれカリキュラムが別建てになれば彼女は当然、自分と他の子の違いを意識せざるを得ないだろう。天真爛漫な彼女の精神生活に、影が差し始めるはずだ。

障碍者や障碍児の親に、自分たちを可哀想だと思ってもらいたい人はいないと思う。気の毒に思われるということはすでにある種のカテゴリー分けをされているということでもあり「人」である前に障碍者というラベルを貼られることに近い。ラベルで分類した瞬間、人々の想像力はたいていそこで止まる。

個人である以前にある分類に入れられて喜ぶ人はいない。響が障碍を持つと次第にはっきりしてきたときも僕は、そういう「群れ」に強制的に入れられるような感じがしてずいぶん哀しくいやになった。

僕自身こそが、ラベルを貼って見たくないものを見まいとする意識を持っていたということ。しかもそれは確実に、これまで生きてきた社会の常識や認識に影響されている。
自分で感じ考えることをさぼってきたのだ。
響と同じように病気や障碍とともに生きるほかはない他の児たちを病院の待合室で見て「うちの子もああいうふうになっていくのだろうか」と怖れる自分をみにくく情けなく思った。
たとえその感覚が大多数の「自然」ではあるのかも知れないとしても。

そんなことを考えながら個人的に響についての日記を付け、それがこの連載にもつながったわけだが、そこでも僕は響の独自性──「障碍は個性」とかではなくて障碍があってもなくても、ある、独自性──を探してきたのだと思う。自分の大切な人に当てはめてみれば皆そう感じると思うけど、人間存在はすべて独自の、一回きりのものなのだ。

そういう意味での独自性。響のそれは、この能力主義の社会でどのように貫かれうるのだろうか?

 

「続・歩くように 話すように 響くように」連載第53回より再録


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