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春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート 堀切和雅


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生者を駆動するもの①

「直樹のことでふと思い出すのは、僕の膝の上で寝かせているときの顔ですね。あ、いや……発病後、病院で初めて笑ったときかもしれません」

ミトコンドリア病患者家族の会の世話人を務めて頂いている杉野原郁哉・香ご夫妻には、いつかお話を伺いたいと思っていた。

「命がなくなる病気だと覚悟したのは一歳の誕生日です。いま思うと恥ずかしいのですが、一家心中をした方が楽なのでは?と思っ たこともあります。

  病状が重くなっていくにつれ、少しでも本人の負担を減らせないか日夜研究していましたが、ついに直樹が亡くなった後は、仕事柄(空港ビルのメンテナンス)不自然じゃなく死ねるので、死ぬことばかり考えてました。

  11階建てのビルの屋上のへりでドライバーを持って作業しているときに片足をビルの外でプラプラさせながら、このまま落ちることもあるよなぁ……とか。
  以前に較べ、遙かに気持ちはコントロールできるようになりましたが、まだまだ会員の方が亡くなると、しばらくダメですね」

世話人になった経緯は、無理に推されてということだったが、杉野原さんは会のメーリングリストの管理をしたり、会員への郵便物をつくったり、お忙しい合間を縫って僕らを支えてくれる。

作業は休日や夜中。小児慢性難病問題への認識を広げようと議員にロビー活動などもするが、その議員が選挙で落っこっちゃったりして、いろいろ大変だ。

メーリングリストには訃報も流れるが、そういう時は今でも眠れなくなることがあるという。

「一緒に泣くことも大切だと思っています。このような場合は、前向きなことをお話ししても、ほとんどの場合相手の耳に届かないからです」

感じやすい性格の郁哉さんが、息子さんと同じ病気で人々が亡くなり続ける現実に接することは、ほんとに辛いことだと思う。

そしてそうしたとき、彼はいつも直樹君のことを想っているのではないか。

「いま中2の娘とともに、人生の全て。最愛の息子です」

「子どもの患者さんは命の危機に至る場合も多いのですが、慢性症状に苦しむ大人の患者さんもいます。その多様さを知ってほしいです」

 

続・歩くように 話すように 響くように」連載第56回より再録

―つづく―


ほりきり かずまさ はじめ編集者、つぎに教員になり、そうしながらも劇団「月夜果実店」で脚本を書き、演出をしてきた。いまや劇団はリモートで制作される空想のオペラ団・ラジオ団になっている。書いた本に『三〇代が読んだ「わだつみ」』『「30代後半」という病気』『娘よ、ゆっくり大きくなりなさい』『なぜ友は死に 俺は生きたのか』など。

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