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春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート 堀切和雅


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処置室の問題

 

発熱で食欲を失った響は、経鼻管からMCT(中鎖脂肪酸)ミルクを注入してもらうことになる。入院初日、僕がいったん家に帰って荷物を持って病室に戻ると、一度入れられた管をあっという間に引っこ抜いてしまったところだった。しかも管はなかなかうまく入らず、鼻血もずいぶん出て、響は処置の間泣き叫んでいたという。

入院していると、他の病室からも赤ちゃんの、幼児の泣き声が聞こえる。病気のために、たくさんの痛い目に遭わなければならない子どもたち。処置の理由が分かっている大人が、痛みだけでも、代わってあげられればいいのに。

もう一度挿管を試すことになり、響は処置室に抱かれて行く。
「あ、お父さんは出ていてください」
「いや、見ていたいんです」
「親御さんがいて手出しができないことが、お子さんのトラウマになる場合もありますから」

強い言葉にいったん引き下がるが、ドアの外で聞いていると響の泣き叫ぶ声が長く続き、明らかに手間取っているのがわかる。
また入って行って、
「今日は挿管やめませんか? 衰弱もまだひどくはないですから」
そばの銀のステンレスの皿には響の血がまだらにたくさん散り、溜まってさえいるのを見て、僕は言う。

押さえつけられたまま、響がじっと僕を見上げるのが痛い。だがその瞬間に中山先生が処置室に入ってきて、僕はヴェテランの彼に任せる気にもなる。陽子もやってきて、看護師さんに思わず「練習台にするのはやめてくださいね。今日は(採血や点滴で)何度も痛い目に遭ってるんだから」。

母と看護師の間のそれを中山先生が宥める。

結局彼が手早く挿管をしてくれて、そのあと病室にも来てくれて僕らはゆっくり話し合う。挿管の練習は人間でするしかないそうだ。はじめは大人の患者。慣れてきてから子ども。今日の失敗は「練習」だったからではなく、響に力が付いてきて首を反らせて抵抗したせいもある、ということも聞いた。

僕は、一機百数十億円もする戦闘爆撃機を何機かキャンセルして、精密に臓器や組織の触感まで再現した幼児型人形をつくって医大に配ったらどうかな、などと考えている。

親が見ていたら、とくに若手は、やりにくいこともあるだろう。それでも処置の様子は、見守りたい、あるいは目撃しておきたい親には見せたらいいと思うのだが、どうだろうか。
互いに懸命なのは、解り合った上で。

 

「続・歩くように 話すように 響くように」連載第39回より再録


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