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春 待つ こころ 障碍の児の思春期、ノート 堀切和雅


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小児科を救え!

中山先生から聞いて驚いたのだが、今年新しく医師になった(病棟の医局に入局した)約6千人のうち、小児科を選択したのは百人程度だという。
このところ、小児科の現場の危機は報道などでも聞いてはいたが、60分の1、というのはそれにしても心配な数字だ。

小児科の難しさは、素人が考えても分かる。
まず、子どもの、人間の全身について知らなければならない。一見軽症に見える患児から、隠れた重大な病気を見つけだすためには、膨大な知識と経験が必要だ。
子どもは症状をうまく語れない場合も多いから、その子の生活の背景まで見る、洞察力も大事。なおかつ素早く判断して、疑念がある場合は専門医に繋ぐなり検査にまわすなりしないといけない。子どもは、症状がしばしば急変するものだから。

難しい判断が求められ、間違えば厳しい結果になる。ところが、子どもは身体が小さいので処方する薬の分量が少ない、小さな身体でしかも泣き叫んだり動いたりするので注射ひとつするにも人手も時間もかかるなどの理由で、小児科は多くの場合不採算部門。法人としての病院組織から優遇されない。人員をまわしてもらえない。
過酷な労働状況のせいで敬遠され、医師の補充が足りず、ますます働く環境が厳しくなる、という悪循環になっている。
小児科では女性の医師の割合も多いのだが、産休・育休後の職場復帰の仕組みも未整備だという。

処置の失敗で響を泣き叫ばせると僕ら両親もつい怒ることもある。響は皮下の血管が細くまた見えにくいとのことで、点滴の針を十数回刺し直されたこともあった。
けれど難しい仕事を、窮状のなか信念をもって頑張っておられるのは分かっているつもりだ。

小児科医だった父を過労自殺で亡くし、しかし自身も今年小児科の研修医になる選択をした千葉智子さんと、東京・中日新聞の紙面を通じて知りあうことができた。智子さんはこの連載を読んでくださり、僕も、彼女のお父様が小児科医療の危機を訴えながらついに亡くなるまでがルポされた本『小児救急』(鈴木敦秋著)を読んだ。
連休の間にお会いすることができ、小児科医療の充実のために協働していくつかの企画を実現させよう、と約した。

それは巡りめぐれば、響のような子をより多く救うことになり、智子さんのお父様のような辛い事例を起こさないことに繋がるかも知れない。

響と向き合う中から、僕はこうして、また人と出会い、具体的なタスクを見つけた。

この記事の時点ではまだ未来だった頃、響は小学校に上がることになる。
綠の向こうに望めるのは小学生の彼女とよく遊んだ、小さな公園。
それはいまは昔になって、そこにある。通りがかり、そう思って、写す。

 

 

「続・歩くように 話すように 響くように」連載第36回より再録

―つづく―


ほりきり かずまさ はじめ編集者、つぎに教員になり、そうしながらも劇団「月夜果実店」で脚本を書き、演出をしてきた。いまや劇団はリモートで制作される空想のオペラ団・ラジオ団になっている。書いた本に『三〇代が読んだ「わだつみ」』『「30代後半」という病気』『娘よ、ゆっくり大きくなりなさい』『なぜ友は死に 俺は生きたのか』など。

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