実習生の日誌
出版舎ジグの立ち上げ前から、ある資格取得のための通信教育を受講している。会社が立ち上がる前までに資格取得が間に合わなかったため、試験はまだこれから。受験資格には一定時間以上の実習も含まれていて、6月半ばにその日程を終えた。
24日以上・計180時間以上という、決してたいした時間ではない。とはいえ、通信教育の受講生は仕事をもつ社会人ばかり(ごく稀なスクーリング機会に話をきくと、結構な責任ある仕事)。本当に頭が下がる時間のやりくりをして、みなさんレポート提出や実習をこなしている。
その爪の垢でも煎じなさいというのが自分だが、出版仕事をまだ大きく動かせていない今のうちに、私が採っておきたい資格とは、社会福祉士。その理由をjig日記で今後書くことになるかどうか、今は分からないが、ともかく必要なので、やるしかない。
実習生は実習期間中、毎日記録をつけ、実習施設や機関の担当指導者にコメントを書いてもらい、それをふまえて次に臨む。この記録作成作業が、あなどれない。ひとさまの書く文章に、あれこれコメントをつける生業に、私は長らく就いているわけだが、自分の書く文章にコメントがつけられるのは、かなり久しぶりだ。しかも、それが企画書や宣伝文へのダメ出しや、レポートの採点コメントでもないところが、キモだ。
実習記録は、実習生が「何を見た(聞いた・知った)か」「それは何だと感じたか」「それに対しどう行動したか」「それはなぜか」「なぜそう思うのか」を、具体的な場面にもとづいて書ように指示されている。
慣れない場の浅い人間関係のなか、毎日、規定の文字数以上(そして欄に収まる範囲内で)手書きで書き、提出する。ふだんキーボード任せのなまくら指は、字もなっちゃいないし、あろうことか誤字だらけ。誤字はいちいち二重線で修正し印鑑を押さなくてはならない。
数時間前の出来事を書くから言葉は生煮えだし、理解は半分もいっていない、それが分かっている。分かっているけれど、その時間内に書かなくてはならない。構成を考えるエネルギーも時間も足りないので、ほんの数分、ええと今日は……と思い返したのち、とにかくさっさと書き始める。
こういうふうに書いていると、文からぐーっと枝葉が生えてくる。枝葉といっても、「盛る」ような意味はない。「ああ、こういうことか」「こう繋がっているのか」「そういえばこんな風に見えていた」「たしか、こういう感情だった」といったことが、意外なほど、引っ張り出されてくる。同時に、そろそろ余白が尽きる、着地しなきゃ、どこに、どう着したらいいんだ……と結語を手探りしながら前進することになる。
錯覚かも、事実とは異なる見立てかも、軽率な推測かもと思いながら、しかしそこを書くことを回避したところで、そう見立てている思考、そう感じた感覚の断片は取り残される。だからこの作業でオープンにしておく必要があるのだ(と私は解釈している)。
いいおとなが、自分のアンテナで探知したことを「こう感じた」「こう思った」とナイーブに不完全にさらすチャンスは、そうそうない。ここを通る必要があるというわけだ(と私は理解したのだった)。
もうひとつ。実習先の職員たちは、何かがあっても、何もなくても、日々の業務内外のあれこれをよくしゃべる。
朝昼夜とわず、事務所で、同僚同士で、クライエントと、こどもたちと、行政と、支援者と。電話で、立ち話で、会議で。複数の人間が繋がっている状態を可視化し、循環が滞らないよう、「事態」はいつも動いていると確認できるよう、言葉にする。
書くこと・しゃべることが、自他のエンパワメントであり、他者のアセスメントであり、自身のケアである。しゃべること。できれば、お呪いであり魔除けである肉声で。書くこと、できれば、迷いつつ手書きで。
ソーシャルワーク関連の新書も教科書も辞書も論文も、手当たり次第に読んでいるけど、クローゼットの一角を占領して積み上がったどのテキストにも、このことは書いていなかった。
人前で歌ってバンド活動をやっていたころ持ち歩いていた、魔除けのチャームをひっぱりだしてみた。
肉声よ、書き言葉よ、力をください。
出版舎ジグも、ひきつづき稼働します。