最前線
2020年11月に試しに書いたジグ日記が、12月を通過しそのまま放置されて年を越してしまった。なんという2020年だったろうかということでもあり、同じ思いにとどまりながら日々に流されていることにはっとさせられた。(香港については、12月から1月に、民主派の大量逮捕があったことなどについては、1月8日の阿古智子先生のジグサイトへの投稿記事を読んでいただきい)
12月の岩波書店『世界』1月号掲載の倉田明子先生のレビューにも、引用したい言葉がたくさんあったことを記しておきたい(こちらも、地域図書館の『世界』2020年1月号をぜひお読み下さい)。
反省を込めて2021年1月15日の「日記」のその1に、昨年11月に放置した文章をあげておきます。共同通信配信の書評は11月に掲載されたもの(このあと複数の地方紙や雑誌に書評や紹介記事があった。)
… 以下が2020年11月に書いた「日記」。
共同通信配信の『香港 あなたはどこへ向かうのか』書評の末尾を、評者の遠藤乾先生こうしめくくっている。「党派や国教の分断を超え、その最前線につながろうとする意志のなかに、淡い望みがある」
最前線につながろうとする意志。という表現がさすものはなにか、を、阿古智子さんという著者の研究や活動から生まれたこの本を離れて、しばし考えている。
私たちは、今現在の起こりつつあること、起きていることにさらされながら、その温度や感触の正体を必死で考える。考えているのだという意識、覚めていようとする意志だろうか。その方へ手や足を伸ばし、目を向け、体を動かす。触れる。そこが最前線か。
ファクトとエビデンスを重んじる「科学」はほしい。だが、ファクト認定のエビデンスが間に合わない場所にも言葉という道具・武器はある。清・濁の境界線を引く前に、まず聴き取りたい、記したい。