その本がいまも生きているわけ
以前に勤めていた会社で机をならべていたこともある堀切和雅さんとは、なにかのきっかけでFacebookで再会していて、けれど直接のコンタクトをいただいたのは、今年の春だったから、意外とあっという間だったかもしれない。
堀切さんがかつて作った大切な本を、復刊するお手伝い。
自分が自分の責任だけで(上司や営業や制作のだめ出しや意地悪や小言を聞かずに)著者とやりとりして、本を作るようになって2年だし、つくった本はほんのわずかで、まだ「おそるおそる」「だましだまし」の途中ではあるものの、ちょっと「こころ」がうごいた。
初版を手に入れて、その本の手触りや文字、シンプルでしずかな発信力に、いいなあ、このまま生き返って欲しいなあと、素直に思った。力んでいなくて、静かにたたずむ存在感があって、読みたい人とは静かにつながることができそうで、こういう本をふつうにつくれるようになりたいなあ。
著者である人と直接のやりとりをするプロセスがないままに、その人の書いた本を(改めて)つくる怖さはあったものの、復刊のご許可はいただけていたので、本の発信する声のやわらかさと確かさに助けられ、やってみようと思った。
原稿データは既に失われていたので、当初はOCRと引き合わせ校正で入稿しようかという案もあったけれど、堀切さんを介して、初版本の印刷製本を手がけた廣済堂さんに問い合わせたら、ポジが残っている。これを活かせないか。途中、廣済堂さん(2021年10月に「広済堂ネクスト」と社名変更)のアドバイスをうけて、堀切さんがこの本の編集人・発行人であるユビキタ・スタジオの、その発行所であるところのアノニマ・スタジオの、その発売元であるKTC中央出版さんに、新版刊行に関する承諾をいただいたり、ポジを再データ化してもらい少しの誤字を修正したりした。(これに結構お金がかかることがわかって冷や汗が出たが、もう迷わなかった)
著者の田中先生には新たなご負担をかけずに復刊することにしていたので、新版刊行のあとがき(よく文庫版についている、あれ)を依頼することはない、と思っていた。とはいうものの、「いま」「再び」本になったことを奥付以外にも記しておかなければ、とも思った。堀切さんに文章をお願いしたのは、そういう理由だった。寄せていただいた文章を一読して、ああお願いしてよかったと思った(この本がいまも生きているわけ)。
こうして本文データは再生・確保しつつ、装幀まわりのデータは何も残っていなかったので、初版の装幀者さんに手元にデータが残っていないか、保存が無ければ同じものを作り直していただけないか、相談することになった。お忙しそうで、やりとりがむつかしいかなあ、とハラハラしつつ、ご快諾をいただけて、これはかなり嬉しかった。
装幀はクラフト・エヴィング商會さん。
(ちくまプリマー新書の装幀で有名。ほかにもたくさんの素敵な仕事あり)
初版の装幀(帯をはずした表1)はこちら。
じっと見ているとタイトルの一文字一文字がおさまった矩形が、ゆっくり動いているような気がする。横組みの矩形の並びが、雲のようにも見える。いいですよね。
「新版」の2文字を添えた今回の出版舎ジグからの復刊では、これをどう変化させてくださったか。『障碍の児のこころ』書籍ページをどうぞ。今回、紙も選びなおし、画像ではわかりにくいけれど、質感も変化させてくださった。新版の表1は、文字を囲む矩形のひとつひとつが、その位置で震えているように見える、私(ジグ)には。
とても好きです。
ところで、ユビキタ・スタジオのロゴもよいです。本の背にはいっている、ユビキタ・スタジオのロゴマークもよいので、接近画像はこちら。だれのデザインなんだろう?
旧版・新版ならべて本の背からみた写真。背の帯のことばは同じ。
「想ってみたことがありますか」。
堀切さんの声が聞えるような気がします。
『障碍の児のこころ』出版舎ジグ版は、2021年10月7日刊行です。
堀切さんには、ジグのサイトで連載をスタートしていただきました。「この本がいまも生きているわけ」で登場する、響さんのこれまでと、いまと、これからについて、すこしずつ書き進めていただいています。
「障碍の児のこころ」の続編、「障碍の子の思春期」という本をつくりましょうと、これも春からの約束です。私(ジグ)もたのしみにしています。
[続報]見本入品。記念撮影