出版舎ジグ
jig-web 連載

運転できない女ヘッダー画像

「くるまとわたし」 運転できない女 ちかこフジオカ

私が若かった頃、時はバブルとその名残り、大学に入るとまず運転免許を取るものだと思って いた。当時の教官は怖かったので挫折しかけたけれど、さすがにお金がもったいないと、1 月の試験中に空いてる教習所でラストスパートをかけ、なんとか免許を取った。

学生時代は家庭教師先に車で行ってみたりしていたが、夜の甲州街道はみんな飛ばしているの で、怖かった。怖すぎて電車で行ったら、家庭教師先のお母さまが、女性の一人歩きは危ない わ、と、教えていた女子のお兄さんに車で送らせた。お兄さん、セリカで夜の甲州街道をぶっ 飛ばす。怖かった。

最初の就職をした 22,3 歳のころ、大晦日、結婚して中野に住んでいた姉の社宅に、おせち料 理を届けてほしいと母に頼まれ、車で行ってみた。無事に届けた帰り道、夜の甲州街道から実 家の方向へ右折するとき。首都高の柱で見通しの悪い交差点、そろそろと出て見たつもりが、 スーッと出たらしい。直進車ともろにぶつかり、フロントグラスが砕け散った。

どうやって車を停めたのか、記憶にないほどパニクった。しかし、どこからともなく現れたや じうまの方々が、通報してくれて、一緒に警察を待っていてくれた。あの時ほど、やじうまの 有難さを感じたことはない。なにしろ、ぶつかった相手の方は仕事納めのおじさまで、ものす ごく激高しており(当たり前だ)、「赤信号で突っ込んできたんだ、赤信号で」と怒っている。 いやこちらも青信号だけれども、もちろん直進が優先です、ハイ。。などと言えるわけがない。その激高するおじさまと私の間にやじうまの方々が、なんとなく入って、隔ててくださっ ている。とても有難かった。

警察で調書をとられて、病院から戻られた相手の方と会った時には、もう冷静になられてい て、「保険にはいっておりますので、すべて負担します。本当に申し訳ありませんでした」と 頭を下げると、いやいやもういいよ、とおっしゃってくださった。

その後、ケーキをもってお宅に伺い謝罪したが、本当に車はこりごり。。心の底からこりご り、と思った。なぜ自分が無傷なのか本当に不思議なほど、車は壊れた。お正月から車が壊れ てるのは恥ずかしい、と母に言われて、高校の同級生に車のカバーを借りた。車は父の車で、 保険に入っていたのも父だ。親不孝な娘であった。

以来、もちろん車の運転をやめた。どうしても運転がうまくなる気がしないまま、運転してい たのがまちがいだった、もう二度と運転しない、と思った。

しかし、時間がたつと人は忘れる。私もその時の恐ろしさ、自分が人を傷つける恐ろしさを 徐々に忘れ、そのうちまた運転するんじゃないかなーと思っていた。時間がたって 30 歳も過 ぎると、友達が自分の子どもの送り迎えに車は必要よと言う。独身の友達は、人に頼らずにど こにでも行けるように運転を始めたと言う。特に後者がこたえた。父に運転してもらい、母に 運転してもらい、弟に運転してもらった挙句、彼氏に運転してもらう。こんなことでいいの か。人に頼らず、一人でどこにでも行ける、それでこそ自立ではないか。

【くるまとわたし】 連載一覧

↑

新刊のお知らせ