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『なないろペダル』によせて 菊池木乃実

フェンスを越えて、来てください

『なないろペダル』によせて

青木麻耶ちゃんからメールをもらったのは、3年前の12月だった。

「自転車で南米を旅しています。会社員を辞めて、山梨で農的な暮らしをしていました。いろんな人からポールさんと木乃実さんのことを聞いて、ぜひ、お二人の暮らしを拝見したいと思ったので、お邪魔してもいいでしょうか?」と言う。
そうして、翌日の午後、麻耶ちゃんは我が家にやって来た。

自転車を押して丘を上がって来た麻耶ちゃんは、息をぜいぜいさせていた。
「自転車を担いで、フェンスを越えるのが、大変でした」と。

そうだった。うちの入り口は、街道から50メートルほど入ったところにあり、お隣のセルジオさんの土地を通って来なければならない。ところが、セルジオさんの土地には、牛や羊が外に出ないようにフェンスが張り巡らされていて、人が通れるゲートがないのだ。私達も、土地を買ってからずっと、そのフェンスをまたいで、荷物を担ぎ入れていたし、家を作る材料も、大きな薪ストーブも、すべて、フェンスを越えてやって来たので、当然のことのように思っていたが、華奢な麻耶ちゃんにとっては、大変だったようだ。しかも、フェンスのこちら側は、いつも水が溜まっていて、泥だらけなのだ。
「木乃実さんたち、いつも、あそこをまたいでいるんですか?」と、麻耶ちゃん。
「うん、そう!」と、私。

東京でOLをしていた頃の私からしたら、考えもつかないパタゴニアでのラフな生活だ。パタゴニアに来てから、私もずいぶん、逞しくなった。野生に戻って行くような感覚。あるいは、お転婆だった子供の頃に戻って行くような感覚。それは、自由の感覚ともつながっている。泥だらけの長靴。爪の間には土。人からどう見られるかは、気にしなくて良い。プラクティカリティー(実用的なこと)がここでは、大事なのだ。

一息ついてから、アースバック(土嚢)で作った家の仕組みや、土を掘り下げて半地下にしたグリーンハウスの仕組みなど説明し、その後、一緒に草刈りをし、ジャガイモ畑にマルチを敷く作業をした。

「おお!こんな鎌は見たことがない」と、麻耶ちゃんは、キャプテン・フックの手を大きくしたような、スペイン製の鎌に感動していた。そして、草刈りの作業を黙々とこなして行った。腰をぐっと入れて、地面すれすれに草を刈って行く様子を見て、農作業をしたことがあると、すぐに分かった。草を刈る作業をしながら、自動的に手を動かしていると、滔々と言葉が口をついて出てくる。草刈りをしている間、徒然なるままに、いろいろな話をした。

麻耶ちゃんは、砂漠で強風が吹いて、いくら頑張っても先に進めず、大声で泣いた話や、「どこに行っても自分からは逃げられない」と、悟った話などをしてくれた。きちんと自分の弱いところを見ている。それを、他人に話せる素直さがある。真っ直ぐに生きている人だな、という印象だった。

その日は、奇しくも私の誕生日でもあった。翌日、麻耶ちゃんを見送るために、丘を下りて行くと、フェンスの間に人が通れるほどの小さな木戸が取り付けてあった。
「あれ?木戸ができてる!」
まるで、魔法のようである。自転車を担ぐ必要がないので、麻耶ちゃんは、上機嫌だった。楽々と木戸を開けて、自転車を押して行き、「ありがとうございました!」と手を振りながら、街道を南下して行った。

不思議に思っていると、夕方、お隣りのセルジオさんから、電話があった。
「木戸を作っておいたよ。誕生日のプレゼントに!もう、荷物を担いで、フェンスをまたがなくてもいいから、楽になったでしょ。」
なんて、嬉しい誕生日プレゼントだろう。こうして、奇しくも、麻耶ちゃんは、フェンスを越えて我が家にやって来た最後の旅人となった。

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