ジグ日記 | 出版舎ジグ

モトムさんの旅を記録して

(つづき)

また、こういう問答も(広島県「障害のある人びとの福祉」より「保育及び学校教育 」所収のQ&A)

Q12:
特別支援学校に入学しても、小・中学校等の子供たちと交流をすることができますか。

A12:
特別支援学校では、小・中学校等の児童生徒とともに活動する交流及び共同学習を実施しています。交流及び共同学習は、児童生徒の経験を深めるとともに、思いやりの気持ちを養うなど、社会性や人間性を育む上で有意義な活動です。交流及び共同学習は、互いの学校の教育課程に基づいて、適切な教育が行われるよう綿密な計画のもとで実施しています。

このQ&Aでいう「計画」の理念と思われる、広島県教育委員会の「広島県特別支援教育ビジョン」は、
・「障害者の権利に関する条約」批准、
・「障害者基本法」改正、
・「障害者差別解消法」制定、
・「学校教育法施行令」改正、
・「学習指導要領」改訂、
を経て、令和2年度の改訂版で「特別支援教育」の理念を次のように示している。

「特別支援教育は,幼児児童生徒の自立や社会参加を図るため,一人一人の教育的ニーズを的確に把握し,その持てる力を高め,障害による生活上や学習上の困難を改善・克服するよう,適切な指導や必要な支援を行うものです。」

(中略)

「さらに,特別支援教育は,障害のある幼児児童生徒への教育にとどまらず,「障害の有無にかかわらず,県民一人一人が相互に人格と個性を尊重して支え合う共生社会の実現」の基礎となるものであり,現在及び将来の社会にとって重要な意味を持っています。」

個の尊重はすばらしい。けれど、「その持てる力を高め,障害による生活上や学習上の困難を改善・克服するよう,適切な指導や必要な支援を行う」なら、「障害」はやっぱり――主語はあえて明示されていないが、障害をもつその人が「改善」し「克服」すべき、と言っているように、読める。

学びは、その過程で自己を変えていくプロセスだから、力を高め、困難を克服するのは、みんなそうだ、まあいい、とするとしても、

社会の有形/無形のあり方が、ひとつの個性を、「障害」というあり方に押し込めている、その状態を克服し、社会が変わっていくのだ、と考えているようには、読めない。

地域社会や学校や職場が「尊重し」「支え合う」のはもちろんすばらしい、けれども、その社会の側が社会自体を変えていくのだ、「障害」という形で人をはじき出す有形・無形のハードルを変えていくのだ、という決意表明には、やっぱり、読めない。

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