ジグ日記 | 出版舎ジグ

モトムさんの旅を記録して

(つづき)

「モトム、故郷に帰る」の記事を準備していた数日、私はたまたま、『戦後教育史』(小国喜弘著、中公新書)を読みかけていて、あるページで「あっ」と思った。モトムさんが後日コメントで触れている、インクルーシブ教育をめぐる国連勧告に言及して、こう書かれていた。

「日本の教育では、個々の子どもの発達に最適な学びの場を充実させることを理想とし、普通学級における学級ルールなどを見直すことを、基本的に行わない。そのためインクルーシブに熱心になればなるほど、結果として分離を促進してしまう皮肉な現象が生まれている」(同書267頁)

「障害のある子」が共にいることで、「障害」という困難を生み出す社会のあり方を知ることができ、知ることで、別のあり方を構想することができる、という視点はない。それが、日本型の、文科省のインクルーシブ教育になってしまっており、広島県や江田島市の語るインクルーシブ教育は、やはりそっちの表現なのだった。

だが、そもそも「インクルーシブ」によって変わるチャンスを与えられるのは、「マジョリティ」の側、ではなかったろうか?

私は、モトムさんに会うたび、モトムさんのように切り拓く(津留さんのすてきな表現)姿を見せてくれる人と会うたび、私を変えるチャンスをもらっていることが、とても嬉しい、のだけれども。

 

 

 

 

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