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パラグアイ日記  青木麻耶 その2

アレグアの仲間たち

実は、このアート学校を運営しているグスターボさんとホエさん夫妻は、学校から少し離れた自宅の敷地内に、地元のアーティストや先住民の手工芸品をフェアトレードで取り扱うお店も経営している。後日、作った竹細工を持って再度グスターボさんたちを訪ねた。

工芸の町でもあるアレグアにはいろんな職人がいて、かつては陶器の街として知られていた。 お店とアート学校の名前にもなっている“El Cantaro” (エル・カンタロ)というのは水瓶のこと。昔は水瓶の生産が盛んだったが、使う人がいなくなった今は生産もされていない。今も土産物屋には陶器が並んでいるが、若い人たちはほとんど興味を示さないという。

「このお店や学校の趣旨は、子供たちや若者にアートに触れてもらうことを通して、それに価値を見出してもらうこと。プラスチックにアイデンティティや文化は継承できない。手仕事にこそアイデンティティが宿っている」と語るグスターボさんと意気投合した。

それから1ヶ月間、イグアス、ピラポ、ラパス、コルメナとパラグアイ各地の日本人移住区を転々とした後、帰国直前に再びアレグアを訪れた。
ウーゴのドームもだいぶ形になってきたようだ。

約束通り、竹細工のワークショップをすることになった。全員がパラグアイ人というのははじめてで、わたしのたどたどしいスペイン語で身振り手振り、手取り足取り教える。
参加者の皆さんの食いつきも集中力もすごくて、四海波という簡単な花籠に加えて、指輪づくりにも挑戦することになり、気づけば4時間ぶっ通し。

参加者の中には竹でテレレの容器やボンビージャ(テレレを飲む時に使う先に細かい穴の空いたストロー)を作っている人もいた。そしてパラグアイに来てはじめてパーマカルチャー、ビーガン、オーガニックというキーワードが飛び出した。

この一ヶ月間、パラグアイのいい面も去ることながら、「持続可能」とはあまりにかけ離れた実態を目の当たりにして、もやもやした気持ちを抱えていた。

元々日本人が移民した時に持ち込んだという大豆の種は、パラグアイの肥沃な大地でよく育ったという。だが広大無辺な真っ赤な大地に広がる大豆畑は、今やほぼ100%遺伝子組み換え。強力な除草剤や枯葉剤を撒き、一日数百リットルものガソリンを使って収穫しているそうだ。

でも、「これがなければ子供達を日本の大学に入れてあげられなかった」「機械や種子、農薬にお金をつぎ込んでいるから辞めたくても辞められない、自転車操業なんだよ」とお世話になった日系人の方達から事情を聞き、なおさら複雑な気持ちになった。大豆の値段は国際相場で決まり、今年は天候の影響で収量が少ないのに値段も安いためにどこの農家も大打撃を受けているそうだ。

これはパラグアイだけの問題ではない。
表立っては見えないが、家畜の飼料や大豆油用に大量に輸入している日本だって、その片棒を担いでいるのだ。こうした現状を知れば知るほど、わたしは途方に暮れてしまった。
だからこそエル・カンタロに集まった彼らと出会って、救われた想いがした。
パラグアイにもこんな人たちがいたのかと。

ワークショップ後、グスターボさんたちの家で昼食をごちそうになった。
ホエさんはベジタリアンで、一見ミラネーサ(パラグアイのトンカツ)のように見えたのはナスにスパイスと衣をつけて揚げたベジ・ミラネーサだった。これが最高に美味しかった。グスターボさんも環境のことを考えて、お肉は極力食べないようにしているらしい。
アレグアの街には湖があって、昔は泳げたらしいが、周囲にある21の街から出た生活排水が下水処理されずに流れ込み、富栄養化して魚が死に、今ではもう遊泳禁止になっている。

「僕は自分の子供たちと一緒に川や湖で遊びたい。そのためにも次の世代を担う子どもたちへの教育はとても大事だ。彼らが大人になった時にこの国を正しい方向に導いていけるよう、環境問題への知識とそのソリューションを示したい。元々この国は先住民の人たちのものだった。でも白人が来て、彼らの土地と文化を奪ってしまった。彼らはお金もないし、一番低い地位にいるけれど、この土地のことを一番よく知っているのは彼らなんだ。薬草の知識、自然との付き合い方、そして手仕事。彼らの知識や技術を次の世代へと繋げる、そのために僕はこのお店やアート学校をやっているんだよ」

竹職人まっぽんとグスターボさん
竹職人まっぽんとグスターボさん

彼の話を聞いて、胸が熱くなった。最後にここに来られてよかった。彼やその仲間たちに出会えただけでも、わざわざこの国に来た甲斐があったと思えるほど、彼らとの出会いは本当に幸運だった。

あおき まや 2016年5月から1年間、北米南米8カ国を自転車で移動し、各地の持続可能な暮らしや手仕事を見て周る。帰国後、2017年夏からは約半年間で31都道府県を走り、伝統文化や手仕事、自然と寄り添った暮らしを営む人たちと出会う。今後はローカルな日本の魅力を伝えるために、ガイドやライター業を通して人と人をつなげ、情報の発信を行なっていく。

青木麻耶のはじめての本
な な い ろ ペ ダ ル

世界の果てまで自転車で

脱・銀座OLが中山間地での農と狩猟の暮らしにあきたらず、
たった一人で次に飛び出した旅は、南北アメリカ11000キロ自転車縦断!
気力体力全開で自分と向き合い、人々と風景に魅せられる出会いの数々。
パーマカルチャーの村、七色の湖に七色の山、先住民の色とりどりの手仕事文化。
体あたりすぎる女子・まやたろが持ち帰った日々をまるごとお届け。

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