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『ひらけ!モトム』によせて

-『ひらけ!モトム』-

岩下紘己

再 会

懐かしい音がする。懐かしい匂いがする。まだ半年ほどしか経っていないのに、すべてが懐かしい。

2両編成の世田谷線に乗り込み、上町駅で降り、てくてくと歩くこと5分。マンションの玄関口を通り、ごみ置き場横の階段を3階まで上り、外廊下を左手に曲がって一番奥の右手側。ドアの右上に「上田」のネームプレートがある。インターホンを押す。

ピーンポーン。はーい、という返事とともに、ドアの向こう側で足音が近づいてくる。ガチャ、ドアが開き、馴染みの介助者の方の顔が出てきた。お久しぶりです!思わず笑みと声がこぼれる。同時に、家の中からもわっとした独特の空気が漏れ出てくる。お邪魔しまーす、ぼくは彼の後に続いて家の中に入った。

4月に大阪へ引っ越したぼくは、この半年間、全く東京に足を運ばなかった。新型コロナが落ち着かず、特に東京で感染者数が増大していたということもあった。東京に住む家族や友人には会いたかったが、急ぎというわけではなかった。

けれども今回、上田さんの人生をテーマとした卒論が本として無事に出版されることになった。9月15日刊行であった。3月から話を進めていたので、ようやくというのが上田さんの正直な気持ちだろう。しかも当初は8月4日、上田さんの誕生日に出版しようと話をしていたので、予定より1カ月以上もお待たせすることになってしまった。

上田さんは暑い夏が苦手で、毎年高確率で入院しているということもあった。今年も心配ということで早めに作業を進めていたつもりだったが、気が付けばもう夏は過ぎ去ってしまっていた。上田さんは無事、入院もすることなく今夏を乗り切ってくださった。

上田さん!お久しぶりです!部屋の入り口から顔を出すと、いつも通りベッドに横になり、元気そうな上田さんの姿がそこにあった。
「お゛ ひ さ し ぶ り で す」。
ゆっくりとした、少し濁音交じりの上田さんの声。

この部屋だけ、時計の針の進みが遅くなったように、ゆったりと時が流れている。ぼくの呼吸が、動作が、その流れに馴染んでいく。リュックと大きな紙袋を床に置き、上田さんの横にある椅子に腰を下ろす。介助をしていたときの定位置だった。

ついに上田さんとご対面。歳を重ねるにつれて、人生の在り様が顔の皺に現れると教えてくれたのは上田さんご本人だが、それにしても上田さんは優しい皺を刻んでいる。いくつもの哀しみが、その優しい皺をより深く刻み込んでいる。

忘れないうちに、と大量のお土産を紙袋から取り出す。と言ってもぼくが持ってきたのは小さな大阪土産で、残りは母から預かったスリッパだった。本を読んでいてスリッパの記述が無性に気になって、新しいスリッパを手土産にと、ぼくに持たせたのだった。

「あちゃー」と上田さん。聞けば当の本人も、本を読んでスリッパの記述が気になり、自分で新しいものを大量購入してしまったという。しかも、洗濯機で洗えるという優れもの。ぼくが履いているスリッパもそれだった。あちゃー、ふたりで大笑いした。まあまあ、これでたくさんのお客さんを呼べるね、とコロナ禍でも呑気な上田さん。

それから無事に本にできたことを祝い合った。○○さんも、△△さんも、□□さんも、本を読んでくれて、こんなことを言ってくれた、あんなことを言ってくれた、とても喜んでくれた、そんな話も尽きなかった。あらためて、上田さんを取り巻く、支える/支えられるという網の目のような関係性の広がりを体感した。そこまで視野に入れることは今回できなかったが、上田さんの人生という織物を、ともに編んできたいくつもの人生があるということを、ありありと感じていた。

上田さんは昼食に、近所の美味しい肉まんを用意してくださっていた。夕方には売り切れることも珍しくないほどの人気店で、ぼくはいつも介助が終わった水曜日の朝、100円のまんとう(肉も何も具が入っていない、肉まんの生地だけのようなもの)を買って食べていた。出来立ては熱々でふわふわ。何も食べていない朝の口に、ほんのりと甘さと温かさが広がる。

いただきまーす! 一口、噛みしめる。上田さんと久々に食事をともにするのも嬉しかったし、好きだったものをわざわざ用意してくださった上田さんの気持ちが、何よりも嬉しかった。

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