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モトム、故郷に帰るヘッダー画像

『ひらけ!モトム』によせて

2023年5月、広島~江田島 世田谷に暮らす団塊世代の重度身体障害者・上田さんの旅

その2

モトム、故郷に帰る

江田島へ

5月8日(月) 広島:曇り 江田島へ

雨はなんとかあがったようだった。リーガロイヤルホテルのモトムさんの部屋から眺める、曇天の広島市。

曇天と灰色のビルをぼんやり眺めるうちに、ここが広島でこれからモトムさんと江田島に行くんだなと意識すると見え方が変わる。
(東京にもどってから、画像の島影・山影の位置と方向と標高をgoogleとにらめっこして再確認した)

 

画像に見える広島バスセンター、その右奥にみえる山影、いや島影は、たぶん、厳島。

バスセンターの向かいの緑は県庁エリアだけれど、かんじんなのは、眺めの一番奥に見える山並みのようなもの。

バスセンターの上にきれいな三角に見えるのが、たぶん、似島の安芸小富士。
ビルをいくつかはさんでその左奥にみえるのが、江田島で、モトムさんの故郷の能美町とは向かいがわの江田島市にある古鷹山、かな。
もしかしたら、その手前の無人島の峠島が重なっているかな。
その左に連なって少し近距離にみえるのが、たぶん、宇品(広島湾)から一番近い島の金輪島.

そして左にむかって陸になっていく感じが、呉の方向。

モトムさんのお父さんは、跡継ぎで長男だった江田島の家を出て、呉の海軍工廠に勤務した。その後は東京の海軍省に移り、徴兵されるまで蒲田で暮らした。空襲、敗戦、それぞれの困難を経て、ご両親は江田島にもどってくることになる。

この話は、イワシタさんが『ひらけ!モトム』でモトムさんから聞き書きしている・・・のだけれど、いざ広島の地に来て、地図とつきあわせて想い描くと、やっぱり生々しい。

広島(宇品)は有数の軍港で軍都だった。
この風景から見える島影も、たとえば似島には陸軍施設が多数あり、それは原爆投下後には野戦病院に、さらに原爆孤児の施設になった。(現在は、児童養護施設、知的障害者施設等の社会福祉法人)
そもそも「江田島」は、海軍兵学校の代名詞だ(現・海上自衛隊幹部候補生学校)。無人島の峠島には陸軍の倉庫があった。ちいさな金輪島にも陸軍船舶司令部(いわゆる暁部隊)の野戦廠があった。
モトムさんのお父さんが働いた呉の海軍工廠は、戦艦大和の建造で有名だ。

広島も、江田島も、その後、さらにその後、そしてその後を積み重ねて今があり、そのひとつに、モトムさんの家族やモトムさん自身の人生もある。

そういうことを、考えさせてくれる山影や島影って、ありがたいな、と思う。

 

-江田島へ その2 に つづく-

モトム=上田 要 うえだ もとむ 『ひらけ!モトム』の主人公、生活史の語り手。1948年広島県(現・江田島市)生まれ。78年より東京都世田谷区に暮らし、86年より24時間介助。自立生活実践中。

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