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移住労働者の権利と感染症対策をめぐる<br>台湾の大学教員5名の共同声明ヘッダー画像

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移住労働者の権利と感染症対策をめぐる
台湾の大学教員5名の共同声明


解 説 (張雅晴/大橋史恵) 続き

このように国境管理の厳格化が進むなか、台湾社会では「台湾人」と「非台湾人」とのあいだに線を引く動きが強まった。この趨勢は決して新しいものではない。2002年から2003年におけるSARS(重症急性呼吸器症候群)流行時には、一部の外国人労働者やホームレスの感染が確認されると、こうした人びとに対する社会的なスティグマが深刻化した。それから17年を経た今日の台湾において、中国大陸出身の配偶者に対する差別のまなざしや「失踪」状態にある移住労働者を危険視する声が広がっている。感染症への恐怖において、「他者」の排斥がふたたび正当化されているのだ。だが台湾人が自らと異なる他者として一括りにするこうした人びとは、実際には台湾人の暮らしと密接に関係する存在であり、すでに台湾という共同体を構成している。そのことは、今回のウィルス危機によってより鮮明になっている。

2月26日、感染症予防センターの発表において、非正規滞在のインドネシア人ケア労働者が新型コロナウィルスに感染していたことが明らかになると、労働部(雇用と労働を管轄する省庁)は、即座に取り締まりの厳格化を発表した。台湾社会では病院や高齢者施設におけるケアのかなりの部分を外国人移住労働者が担っているが、こうした付き添いの労働者たちの身分証を各病院が確認し、「不法」滞在者を通報させるという計画も示された。ウィルスに感染したケア労働者当人の行動歴が政府によって公開されると、インターネット上ではすぐに個人特定がおこなわれ、彼女が病院で撮影したプライベートな動画がSNSなどで拡散された。メディアの報道やインターネット上の記事では、「不法」な「コロナウィルス患者」が動画のなかで笑っている姿が犯罪でもあるかのように非難し、誹謗中傷するコメントが後を絶たない。

その一方で、ウィルス感染拡大の危機という非常事態のなか、外国人移住労働者につきまとう「合法」「不法」というレッテルを剥がすべきだという声も高まっている。移住労働者は重要なケアの担い手であることをあらためて認識し、社会的包摂を訴える意見も広がりつつある。たとえば衛生福利部部長/感染症予防センター指揮官の陳時中は、非正規滞在者を含む外国人ケア労働者がいなければ医療が成り立たないという現実を指摘し、取り締まりを強行すれば病院が機能不全に陥るとして、労働部の姿勢を批判した。陳は次のように述べている。「病院と患者の家族にとっては、合法も不法も同じだ……  現在は非常事態であり、不法の移住労働者も、この感染症予防戦線の一員である」。

このような声の高まりによって、移住労働者たちの重要性はようやく可視化されるようになっている。しかし「非常事態」が過ぎてしまえば、ふたたび、見えなくなりかねない。新型コロナウィルスの危機がまだ収束していないこの時期だからこそ、私たちはこれまでもこれからもともに生きる存在である移住労働者の権利を考え、そのための政策を議論していく必要がある。

この共同声明は、「獨立評論@天下」という台湾のウェブ・オピニオン誌に寄稿された。「失踪」状態にある移住労働者の権利保障が、感染症予防対策として重要であることを示し、台湾社会が進むべき方向について提言する内容である。外国人ケア労働者の感染発覚を受け、「不法」移住労働者を排斥する言説が強まっていた2月28日に中国語 で発表され、3月2日には英語版 も発表された。3月7日現在、この声明の中国語版は12616件のページビューを記録している。同じ2月末に投稿された「獨立評論@天下」の他の記事のページビューは多くても数千回であり、圧倒的に多くの読者の注目を集めていることがわかる。


この共同声明は、台湾社会の文脈に則ったものであるが、グローバル化のなかで世界全体が向き合うべき課題を示している。移住先の国において基本的諸権利をもたない人びとは、医療ケアや感染症予防のための資源にアクセスしにくい。にもかかわらず、感染拡大をめぐるパニックに乗じたレイシズム、差別と暴力が、弱い立場にある人々に向けられ、深刻化している。日本も直面するこの問題について、より多くの人びとと考え、議論を深めるために、著者5人の了承を得て、ここに日本語版を発表した。

なお、声明の文中における「『失踪』状態」は、中国語の原文では「失聯」と表現されている。かつて台湾の行政や報道は、移住労働者が雇用主の下から無断で去ることを「逃跑」(逃亡)と表記し、それが労働者の側の問題行為であるととらえていた。2017年にベトナム人非正規滞在者が警察による追跡と発砲によって命を落とすという痛ましい事件が起きると、当時移民署(出入国管理を管轄する省庁)の署長であった楊家駿は、台湾社会は「逃跑」ではなく「失聯」(行政との連絡がなくなった)という用語においてこうした労働者の存在を位置づけるべきだと主張した。非正規滞在者にスティグマを課すことへの批判は、この共同声明にも明らかであるため、訳出の際には「失踪」や「不法」といった語彙にカッコをつけるよう心がけた。

  • 写真はいずれも巣内尚子氏よりご提供いただきました。冒頭とカットに使用したマスク をつけた女性のイラストは、ILO189 号条約(家事労働者のためのディーセントワークに 関する条約)を宣伝するステッカー。2019 8 月に台湾で開かれたレイバー・ノーツの世 界大会で配られていたもの。

張雅晴(国際社会学)

大橋史恵(ジェンダー研究、国際社会学)

巣内尚子(国際社会学)

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