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マザーツリー イリナ・グリゴレ

祖母の家の写真その2
祖母の家

家に帰ったら、お食事会と様々な儀礼が行われる。ルーマニアではだれかが亡くなると、家族はあの世で故人に必要とされるものをすべて、同じ歳の、同じ文化体系を生きている村人にあげる。洋服から、靴、ベッドまで。一週間ほどの間は毎朝の朝ごはんも支度する。部屋をすべて再現することもある。さらに魂はあの世に行くまで家の近くにいると思われるから、軒下にパンと水を置く。よく見ているとそのパンを食べる小鳥が来て家族は喜ぶ。

ある本で読んだけれど、こうやって仲間や家族の死を悲しむ動物は人間だけだそうだ。人間以外の動物たちも死を意識していて「動けなくなった」「冷たくなった」とか思うが、人間は「会えなくなった」と悲しみ、お別れの儀礼を行う。

あの頃に夢の中に現れた祖母は動けなくなった身体で動きたい、話したいと言っているように感じた。

人は死ぬとどこ行くのか。アンジェイ・ワイダ監督の『白樺の林』という映画では死を迎える場面が素晴らしく描かれている。主人公は白樺の森の中でベッドごと浮いている。昔見た時、とても神秘的なシーンだと思った。祖母の死もこんな風に自然に抱かれた死だったと思いたい。死を迎える場所を選べるとしたら自然の中でいいとなぜか子供のときから思っていた。祖母が亡くなった場所は自分の慣れ親しんだ庭だった。葡萄畑と菊を植えるところの間だった。その葡萄畑と菊畑を祖父と何十年も世話して家族を支えた。私もよくあそこで遊んでいたので、今でもあの場の匂い、音、光の差し方、すべての雰囲気を覚えている。彼女の身体を発見した近所の人によると土の上を数メートル家の方に向かって動いていたという。倒れても祖母は家へ帰ろうとしたのだろう。考えるとつらくなる。子供の頃いつも賑やかな家だったが最後は彼女一人で亡くなった。

3歳になる娘に「どこから来たの」と聞いてみたら、最初「教えたくない」と答えたあとひとつの言葉を口にした。「移住」したそうだ。3歳になったばかりの人のこの表現にはびっくりしたが、神秘的だった。私たちには知らないことがたくさんあるのだ。私の子供たちを、私を育ててくれた祖母に会わせることはもう出来ない。これはつらいことだ。

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