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山里の春と『苦海浄土』 小林麻里

ここ、標高600mの山里の町、岐阜県恵那市飯地町に移住してから3回目の春を過ごしている。今(4月21日現在)飯地は百花繚乱! ソメイヨシノが散り始め、しだれ桜は満開を迎え、山桜、八重桜、花桃、山梨などがほころび始め、足元では水仙、ムスカリ、チューリップなどが咲き、タンポポ、スミレ、カキドウシなどの野草も田んぼの畔や道端を彩っている。

当たり前のように身の回りに存在し、雑草として引き抜いてさえいたタンポポなのだが、春一番に光を集めたかのように咲くその美しさ、愛らしさに今更ながら気がついた。よくよく調べてみると、我が家の周りにあるタンポポのほとんどが貴重な在来種であることがわかった。都会のタンポポの多くは西洋タンポポなのだが。もうむやみに引き抜くのはやめて増やしていこうと決める。

この春は木を植えている。仙台しだれ桜という名のしだれ桜、ヤマボウシ、オトコヨウゾメ、シデコブシと在来種で山里の景色に馴染む木を選んで植えている。また柚子、杏、柿など、食べられる実のなる木も植えている。

しだれ桜の根元には、2年前の夏に16歳で亡くなった愛犬タビの遺骨を埋葬した。
タビは、福島県飯舘村小宮(居住制限地域)から避難先の同県福島市飯野町、そして半年だけだったけれどもこの場所と、ずっといっしょに過ごして来た大切な家族だった。なので、このしだれ桜を「タビ桜」と呼ぶことにしたけれども、100年後にはこの家の屋号である「紺屋こうや」(戦前まで染物屋を生業としていた)に因んで「紺屋桜」と呼ばれているかもしれない。遺骨の一部は飯舘の我が家の前にあるしだれ桜の根元に埋葬したいと思い、少し手元に残してある。木を植えるということは、自分が死んだ後の世界に木を遺して逝くということなのだ。

飯舘村からずっといっしょに暮らしてきたブルーベリーの木8本も、13年目にしてようやく地植えしてやることができた。直径50センチほどの大きな鉢でずっと育ててきたのだ。小さいうちに地植えするとウサギに食べられてしまって育たないからだ。5年ほどで地植えする予定だったが避難になってしまいできず、50鉢ほどもあった中から8鉢だけを避難先の家に持ち出すことができ、それをわざわざここまで運んできたのだ。13年目にしては育ちが悪かったのだが、地植えすればきっと大きく育ってくれるだろう。

ブルーベリーの鉢で眠る飼い猫の“うずら”
ブルーベリーの鉢で眠る飼い猫の“うずら”

けれども……心配していたことが、花芽が出そろい始めたところで起こってしまった。花芽を食べられてしまったのだ、たぶんカモシカに。来るのは真夜中だから姿は見ていないが、足跡が残っていたのだ。ものすごくがっかりしながらも、その食べ方に感動してしまう。どの木もまんべんなく食べてあるけれども、食べ尽くしてはおらず、綺麗に花芽だけを食べてあって枝はちゃんと残っているのだ。これなら木が枯れてしまうことはないし、実も少しは生ってくれるだろう。木を枯らしてしまわないように、カモシカの本能にそのような食べ方がプログラムされているのかもしれない。

そうだとしたら、人間よりもよほど彼らの方が優れているなあと思う。木を育てるためにはあまり実を生らせない方がいいのだけれども、欲張りな私はなかなか摘果することができない。カモシカに摘果してもらったようなものだ。ありがとう! そうはいっても、また食べられてしまう可能性大なので、周りに柵を作ってもらった。

昨年に引き続き、石垣の手入れもやっている。ここは江戸時代から9代も続いていた家で、古い石垣がたくさん残っているのだ。中には江戸時代のものもあるだろう。

昭和40年代くらいまでは10枚ほどある棚田すべてで米を作っていたという。石垣の手入れも行き届き、それは美しい棚田の風景が広がっていたことだろうと思う。草地や雑木林だったところに戦後植えられた杉やヒノキが成長し、間伐されることもなく放置され、水を吸い上げてしまうので田んぼに引く水がなくなり、米作りができなくなったのだ。

子どもたちはみんな都会に出て行き、山の手入れをする者や米作りをする者がいなくなってしまったことも大きいだろう。そのため、石垣の上に土が覆いかぶさり草木が生えて来てしまっている。崩れてしまっている部分もいくつかある。

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